関東大震災と虐殺 25

 9月4日、火曜日。政府は千葉県・埼玉県にも戒厳令を施行します。

 既述のように、官憲は政策を大きく転換させました。すべての朝鮮人を検束して尋問・取調べを行ない、「順良」な朝鮮人は保護し、「不逞」な朝鮮人(独立運動家・労働運動家・社会主義者)は「適当処分」するという政策です。この日も大規模な朝鮮人検束が行われますが、その過程で命を落とした者も少なくありませんでした。前日9月3日付戒厳司令部の在郷軍人会宛の希望事項にこうあります。(①p.173~4)
一、不逞鮮人中放火ヲ企テシ形跡アリ然レドモ徒党ヲ組ミ暴行ヲ為スガ如キ噂盛ナルモ事実ト相違シ訛伝ニ過ギズ鮮人中ノ大部分ハ順良ナルモノニシテ之ニ対シ濫リニ暴行迫害ヲ加ウル等ノ行為ナキ様注意ヲ要ス。但シ真ノ不逞鮮人ト認メタルトキ又ハ彼等中抵抗シタル場合ニ在リテハ断乎タル処置ヲ取リ万違算ナキヲ期セザルベカラズ」 (『麻布支部臨時』第二号)
 「断乎タル処置」「万違算ナキヲ期セ」とは、"殺害差支えなし"を意味する軍隊用語です。そして検束の現場で、「順良」か「不逞」か、抵抗したかしないかの判断は、兵士、警察や自警団員が任意に委ねられていました。彼らの心証・胸先三寸・虫のいどころによって、「抵抗した」「不逞な」朝鮮人だと判断すれば、殺害してもよい、ということを意味します。朝鮮人の生命はあいかわらず、鴻毛の如く軽いものでした。
 また「検束し、抵抗したら"処置"する」という方針転換を、朝鮮人に広報していなかったことも問題でした。朝鮮語によるビラの配布やポスターの掲示、メガホンによるPRなどを、官憲はいっさいしていません。この方針転換を知らず、死の恐怖と極度の緊張とともに逃げ回る朝鮮人は、検束=虐殺ととらえています。そしてわが身を守るために逃亡または抵抗した者は、軍隊・警察・民衆によって殺されました。(①p.174~5)

 そして検束されて警察署内などにいても安全とは限りませんでした。寺島警察署に検束された曺仁承(チョ・インスン)氏の証言です。(①p.178~9)
 ひどい騒ぎ声が、ワーワーと庭の中に聞えてきたので同胞達は、又殺しにくるのだという恐怖感でいっせいに逃げだしたのである。私もこの儘おとなしく殺されてなるものかという気持ちで、無我夢中、外へとび出そうと警察の塀にとび乗った。すると外には自警団の奴らが私を見つけて、喊声を上げてとびかかって来た。私はその儘、警察の庭の方に落ちて助かった。…三十分程して、私は…庭の中の方へ行ってみた。すると、その時、私の目の中に入った光景は巡査が刀を抜いて同胞たちの身体を足で踏みつけた儘、突き刺し無残にも虐殺しているのであった。只警察の命令に従わず逃げだしたからという事だけで、この時八人もの人が殺され、多数の人々が傷ついた。私は余りのむごさと恐ろしさの為に腰が抜けんばかりであったが、ようやくその場を離れた。そして、留置場の方へゆくと太い棒をもった巡査が私を殴ろうとしたが、私は拝むようにして必死で棒を避けた。そして、私は突きとばされるようにして留置場の中に入れられた (朝鮮大学校 『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』)
 塀の外の自警団も、塀の中の警察も、逃亡したら「適当処分」「断乎タル処置」すなわち「殺害差支えなし」の意識を持ち続けていたことがわかります。後ろ手にしばりあげ、逃亡したら殺害するような扱いですから、「保護」というよりは「捕虜」ですね。

 この9月4日には、暴走する自警団への対策も決定されました。臨時震災救護局警備部の打ち合わせにおいて、「人民自警団ノ取締ニ関スル」次の決定がなされます。
一、自警団ハ警官及軍隊ニ於テ相当ノ部署ヲ定メ之ヲ其ノ指揮監督ノ下ニ確実ニ掌握スルコト
二、自警団ノ行動ハ之ヲ自家付近ノ盗難火災ノ警防等ニ限リ通行人ノ検問抑止其他権力的行動ハ一切之ヲ禁止シ、勢ニ乗ジテ徒ニ軽挙妄動スルガ如キハ厳ニ之ヲ禁遏スルコト
三、自警団ノ武器携帯ハ之ヲ禁止シ、危険ナキ場所ニ領置シ置クコト、尚漸次棍棒其他ノ凶器携帯ヲ禁止スルコト
四、自警団ハ廃止セシムル様懇諭シ可也急速ニ廃止セシメ便宜町内ノ火災盗難警戒巡邏ヲ許スニ止ムルコト (『東京震災録』)
 朝鮮人に対する殺戮・暴行をくりかえす自警団の牙をいかにして抜くか。これは細心の注意をもって慎重に行なわなければなりません。言うまでもなく、流言を流布し、自警団結成を奨励し、軍・警察に協力させ、朝鮮人殺戮や暴行を勧奨あるいは容認したのは、官憲です。自警団の活動を即時に停止させれば、当然に自警団は反発し、事実を誤認して不祥事を惹起させた官憲の責任が問われます。自らの責任を隠蔽しつつ穏便に自警団の暴力を沈静化させる、官憲の努力はこの一点にかかっていました。例えば、自警団が設けた検問所に警官・兵士を投入し、自警団を任務から解放する。その一方で軍隊の威力を誇示し、なしくずしに自警団の縮小化し、夜警グループ化を推進する。また武器の携帯禁止も、銃砲刀剣取締令に違反する戎器の範囲にとどめ、民衆の自覚に訴えて押収するというように、自警団の反発をはばかって、可能なかぎり刺激を避けつつその牙を抜くようにしました。(①p.244)
# by sabasaba13 | 2017-10-19 06:26 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

『週刊金曜日』

 安倍上等兵内閣が犯した大罪は山ほどありますが、見逃せないのがメディアに対する圧力です。『誰がこの国を動かしているのか』(鳩山友紀夫・白井聡・木村朗 詩想社新書12)から引用します。
 特に深刻なのは、政府・官邸による恐るべき言論統制と情報操作であり、その結果、マスコミの自主規制と世論の委縮、集団同調圧力の高まりと一般市民の沈黙・無関心・思考停止が急速に広がっています。「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングで日本の報道評価が民主党政権時の11位(2010年)から、22位、53位、59位、61位(2015年)、72位(2016年)と毎年下がり続けているのはその反映だと思います。2016年4月11日に訪日した「表現の自由」に関する国連特別報告書であるデービッド・ケイ氏(米国)の「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」、「特定秘密保護法や、『中立性』『公平性』を求める政府の圧力がメディアの自己検閲を生み出している」という発言にも注目する必要があると思います。(p.310~1)
 メディアの役割は"中立で公平な報道"ではなく、"権力の監視"であることを、関係諸氏は今一度肝に銘じていただきたいと思います。しかし媚びず、腰を引かず、権力を監視し舌鋒鋭く批判するメディアがあるのも事実。そうしたメディアを激励し、身銭を切って支援するつもりです。今、定期購読しているのは『DAYS JAPAN』と『しんぶん赤旗』、いずれも硬骨・反骨の信頼できるメディアです。ただ前者は月刊誌で世界の動きが中心、後者はどうしても日本共産党の視点が強い、ということで少々物足りなさを感じていました。そこで三角測量ではありませんが、もうひとつ『週刊金曜日』を定期購読することにしました。
 公式サイトから、誌名の由来がわかりました。反ファシズムのフランス人民戦線が刊行した『Vendredi(ヴァンドルディ=金曜日)』。それに刺激され、治安維持法制下の京都で発刊されるも弾圧により途絶した『土曜日』。戦後日本の民主主義を支え、34年を積み重ねたが部数の低迷により廃刊した『朝日ジャーナル』。この三誌の志を継承し、さらに発展させるものとして、哲学者・久野収が『週刊金曜日』と命名されたそうです。
 同サイトには「創刊のことば」(1993.7.23)も紹介されていたので、引用します。
 歴史学者J・E・アクトンの有名なことば「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」に象徴されますように、権力の腐敗がほとんど法則的であることを前提として、近代の国家は腐敗を構造的に防ぐ手段たる「三権分立」を創出しました。しかしこの三権はいずれも国家権力に属するために、しばしば癒着あるいは独裁化に陥りやすい現象がみられます。
 この「癒着あるいは独裁化」を監視して未然に防ぐための最も有効な働きを示してきたのがジャーナリズムです。腐敗しつつある権力は、国民に「知られる」ことをまず最もおそれます。知られなければ国民の怒りも起きようがないはずなのですから。したがってジャーナリズムは、国家権力としての「三権」からは全く独立した市民のものでなければならず、そこに俗称「第四権力」たる意味も役割もあるわけです。民主主義社会にとって健全なジャーナリズムが必須条件でもあるゆえんでしょう。(中略)
 ジャーナリズムが国民の信頼を失うもう一つの大きな原因に、国家権力との癒着あるいは国家権力の広報機関化があります。三権を監視する役割のはずが、三権の補完物と化しているのでは、第四権力としての存在理由もなくなってしまいます。(後略)
 その意気やよし。定期購読料を払う読者が主たるスポンサーなので、企業や政官権力に遠慮することなく、その圧力にも屈せず、権力を監視することができるのですね。ようがす、その一翼を担いましょう。

 編集委員は、雨宮処凛、石坂啓、宇都宮健児、落合恵子、佐高信、田中優子、中島岳志、本多勝一の諸氏、いずれも一家言のある手練れの皆様です。半数が女性であることに注目しましょう、誌の見識を感じます。ちなみに「世界の中の日本を知る 世界ランキング」によると、日本の国会の女性議員割合は11.60%で、世界ランキングの順位は147位だそうです。
 これまで三冊を拝読しましたが、権力に阿らず、怯えず、遠慮せず、一般市民の目線で言うべきことを言うという姿勢が感じられる記事がほとんどです。1156号(2017.10.13)に掲載された編集部・成澤宗男氏の『脅威を煽るだけの「ミサイル非難訓練」』という記事を紹介しましょう。例のあの鬱陶しい"Jアラート"というしろものですね。もし北朝鮮が日本をミサイル攻撃するとしたら、その優先順位として在日米軍基地と首相官邸・防衛省でしょう。ところが成澤氏によると、米軍基地を抱えた自治体および東京の千代田区・新宿区のなかで、「ミサイル非難訓練」を実施したのは岩国市内の通津(つづ)小学校ただひとつ。しかも基地から10km以上も離れているそうです。本当に差し迫った危険があるのならば、こうした地域での避難訓練を強制してでもやらせるのが政府に責務なのに、何もしない。ということは…安倍上等兵内閣は、北朝鮮によるミサイル攻撃はあり得ないと考えているわけですね。それでは何故、氏曰く…
 …住民を思考停止にして「ミサイルの恐怖」を植え付け、北朝鮮への敵愾心を煽れば、権力基盤の強化になるという、首相の計算があるに違いない。選挙公約の北朝鮮政策では「圧力強化」しか言わず、米日を除く世界の大半の国が求めている対話路線を無視しているのも、「脅威」を利用するにはそちらの方が好都合だからだ。(p.33)
 ったく、オスプレイの方がよほど危険なのだから、"Oアラート"を鳴らすべきだと思いますけれどね。

 安倍上等兵内閣が権力基盤を強化するために、北朝鮮の脅威を煽っているとすれば、宗主国であるアメリカ・トランプ政権の意図は何か。同号で、孫崎享氏が、毎日新聞(17.9.26 ネット版)の報道を紹介されています。
 「北朝鮮特需」に沸く米軍軍産複合体、米上院 政府案を600億ドルも上回る国防権限法案を可決 米国防産業が"北朝鮮特需"に沸いている。米上院は今月18日、2018会計年度の国防予算の大枠を決める国防権限法案を89対9の圧倒的な賛成多数で可決。予算規模は総額約7000億ドル(約77兆円)で、政府案を約600億ドルも上回った。北朝鮮が開発を急ぐ核・弾道ミサイルに備える予算などが上積みされた。主要軍事産業の株価も上伸を続け、「軍産複合体が北朝鮮情勢の『恩恵』を受けている」との声も出ている。(p.23)
 こうした複合的かつ冷静な視点で、安倍上等兵の言う"国難"を考えると、事態のもつ意味が見えてきます。これこそが「第四の権力」、メディアの役割ですね。これからも末永く支え続けていきたいと思います。

 他にも、市民運動から講演・映画・音楽イベントの情報を案内する「きんようびのはらっぱで」や、読書会の紹介なども良い企画ですね。後日、拙ブログで紹介しますが、書評・音楽評・映画評も充実しています。ビル・エヴァンスの『アナザー・タイム』や中川五郎の『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』、映画『エルネスト』、「慰安婦」写真展『重重 消せない痕跡Ⅱ』などにめぐり合わせてもらいました。感謝します。
# by sabasaba13 | 2017-10-18 06:28 | | Comments(0)

関東大震災と虐殺 24

 この9月3日から5日にかけて、千葉県船橋近辺で、自警団によって引き起こされた虐殺事件が多発しました。その犠牲者のほとんどが、北総鉄道(現在の東武野田線)の敷設工事に従事していた朝鮮人動労者でした。
 松島(現在の東武野田線塚田駅近く)の飯場から船橋警察署に連れて行かれた朝鮮人労働者は、船橋警察署前で自警団に殺傷されました。また、鎌ヶ谷粟野の飯場から船橋送信所に連れて行かれた朝鮮人労働者は、船橋送信所で引き取りを拒否され、送信所の警備にあたっていた騎兵を同行させて、船橋警察署へと向かいますが、その途中の天沼近くで自警団に殺傷されました。その状況について渡辺良雄さんは、「警鐘を乱打して、約五百人位の人達が、手に竹槍や鳶口等を持って押し寄せて来た。私はほかの人達に保護を頼んで群衆を振り分けながら船橋警察署に飛んで戻った」「私が直ぐ引き返して行くと、途中で、『万歳! 万歳!』という声がしたのでもう駄目だと思った」「調べてみると、女三人を含め、五三人が殺され、山のようになっていた」と回想しています。
 また天沼での虐殺とは別に、鎌ヶ谷粟野にいた朝鮮人労働者が9月4日夜に、市川若宮の北方十字路で自警団に襲われ、13人が虐殺されました。この朝鮮人労働者は虐殺事件があった船橋を避けて、市川警察に向う途中でした。ここでは、翌5日にも朝鮮人の飴工場の職工数人も虐殺されています。
 北方十字路での虐殺事件については、旧法典村の自警団の一人であった高橋定五郎は、「無線の海軍所長が浦安、行徳に六〇〇人の「不逞鮮人」が来るから今夜警戒たのむと、銃を渡されて、二声かけて返事がなかったら、撃ってもいい」、「海軍無線の所長が命令するぐらいですから、ほうびをもらえると思ってやったのに」と、海軍の船橋送信所所長が朝鮮人の殺害を許可したと証言されています。当時、船橋送信所では、朝鮮人からの襲撃を恐れて、習志野の騎兵連隊へ出動を要請し、地域の自警団も動員して周辺を警備させていました。

 自警団による事件が多かった一方で、同じ船橋でも朝鮮人労働者を助けた自警団もありました。朝鮮人労働者が船橋市丸山の「おこもり堂」(慈眼院)を飯場として生活していて、震災当時、二人の朝鮮人がそこに残っていました。他の地区の自警団が丸山に押し寄せ、朝鮮人の引き渡しを要求しましたが、丸山の自警団はそれに応じず、二人の朝鮮人を無事に船橋警察署に届けています。

 以上のような虐殺事件をふまえ、馬込霊園には、朝鮮人犠牲者を追悼する「法界無縁塔」と「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」が建てられています。「法界無縁塔」は1924年9月1日に船橋仏教連合会により建立されました。「(朝鮮人が)たとえ悪いことをしたにしても殺されたのはかわいそうだ」と流言を否定しないまま建てられたこの碑には、「法界無縁塔」という文字と日付しか記されていません。一方、在日本朝鮮人聯盟によって1947年に建てられた「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」には、日本政府が朝鮮人を虐殺させたとはっきり記されています。(⑭p.8~10)

 石橋大司氏が、横浜の久保山で、半裸体で電信柱に縛り付けられ血まみれになった朝鮮人の死体を見たのがこの9月3日でした。敗戦後、殺された朝鮮人を慰霊するために「少年の日に目撃した 一市民之建」と記した碑を自費で建立しますが、よろしければ拙ブログをご覧下さい。

 また、朝鮮人の暴動・放火という流言蜚語は、新聞などを通して全国に広められています。新聞社の判断なのか、官憲による指示・教唆があったのかはわかりませんが。例えば、宮城県の『河北新報』には、下記の記事が掲載されました。
 朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり… (1923.9.3)

# by sabasaba13 | 2017-10-17 06:21 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

近江編(40):水口(15.3)

 時刻は午前八時すこし前、朝食が食べたかったのですが、駅周辺のお店はまだ開いておりません。とりあえず、水口に行って図書館と教会を見てきましょう。八日町駅から近江鉄道本線の貴生川行き列車に乗って約40分、水口石橋駅に着きました。「東海道五十次 水口」という石標を撮影して、すこし歩くと曳山の倉庫がありました。
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 解説文を引用します。
 江戸時代、水口は東海道の宿場町であり、また加藤氏二万五千石の城下町として地域の政治、経済、文化の中心として発展しましたが、曳山祭はこの町に住む町衆の力によって創り出されたものであり、近世のマチ水口の象徴であります。
 曳山の登場は享保二十年(1725)のことで、このとき九基の曳山が巡行し藩邸にもくりこんで賑わいました。その後一町ごとに曳山が建造されるようになりその数三十基余りに達したといわれています。
 当地の曳山は「二層露天式人形屋台」という構造をもち、複雑な木組み、精緻な彫刻、華やかな幕を飾りつけるとともに屋上に「ダシ」と呼ばれる作り物をのせて町内を巡行します。その構造上、組み上がったままで各町内に建てられている「山蔵」に収納されています。
 落ち着いた街並みを歩いていくと、三角屋根が愛らしい日本基督教団水口教会に着きましたが、これもヴォーリズ設計事務所の手になるものです。解説板を転記します。
 本教会の歴史は明治中期に遡るが、この教会は昭和5年11月、W・M・ヴォーリズの近江ミッション(後の近江兄弟社)により、牧師館とともに建てられたものである。
 設計はヴォーリズ設計事務所。木造モルタル仕上、平屋建。屋根はもとスレート葺き。礼拝堂に続く畳敷きの和室は珍しい。
 住宅建築を基としたシンプルな外観は、古い城下の街角に、かろやかな「風」をもたらしている。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-10-14 06:26 | 近畿 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 23

 輜重兵第一大隊軍曹・鈴木曽男らが「不逞鮮人」を発見したのは9月3日夜のことでした。(①p.130~1)
 十二時頃○ヶ谷石川牧場東北側凹地森林内に鮮人三名居るを知り之を逮捕す…右鮮人の家屋(石川牧場凹地内にある豚小屋側の家宅にして、一般近隣の住民は怪しき家と一様に称す)を捜索してる結果左記物件を押収す。
  左記
 不逞鮮人舎(標札)、同舎発行雑誌(太い鮮人)、宣伝ビラ(日鮮大講演)、雑誌販売名簿一、雑誌(自由の人)、鮮人名簿其他若干。
 同家住人金子ふみ子(栃木県人にして二十四才位)は、「右押収物件と共に警察官に引渡せり」 (『現代史資料』 第6巻)
 そう、いわゆる「朴烈事件」のきっかけとなった逮捕です。この後、朝鮮人虐殺の責任を免れようとした官憲は、「不逞鮮人」というイメージを流布するために、朴烈・金子文子夫妻に対し、この秋挙行予定の皇太子婚儀に際して天皇と皇太子を要撃する計画であったという自白を強要しました。そして1926年3月25日、大審院は大逆罪として両名に死刑を宣告しますが、政府は政治的効果をねらい4月5日、大赦令をもって無期懲役に減刑しました。7月23日金子は獄中で縊死、朴は敗戦まで在獄しました。なおこれにからんで「怪写真事件」も起きましたが、詳細は省きます。
 なお金子文子については、『未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』(日中韓3国共通歴史教材委員会 高文研)に、簡にして要を得た照会文がありましたので、引用します。
金子文子(1903~26)-朝鮮人と連帯し天皇制国家と闘った日本人

 金子文子という人を知っていますか。1923年の関東大震災の際、朝鮮人の朴烈(パクヨル)とともに検束され、皇太子(のちの昭和天皇)を爆弾で殺そうとしたとして「大逆罪」に問われて、死刑判決を受けた女性です。
 文子は横浜で生まれました。家柄を誇る父が「婚外子」(法的な結婚をへないで生まれた子)であった文子の出生届を出さなかったため、正式に小学校に入学できないなどの差別を受けたり、父に捨てられた母の再婚などのため文子の少女時代は不幸でした。9歳の時、朝鮮に住む父方の親戚の養女となりましたが、権威的なその家でひどくいじめられました。三・一独立運動を目撃した時、強者に抵抗する朝鮮の人たちに「他人事とは思えないほど感激した」といいます。
 16歳で養女を解消されると、実父が勝手に結婚を決めたため、その圧力を逃れて東京で苦学しているときに社会主義・無政府主義などに出会いました。そしてこれまでの体験から「一切の権力を否定し、人間は平等であり自分の意思で生きるべきだ」という思想に到達しました。さらに、さまざまな法律や忠君愛国・女の従順などの道徳は「不平等を人為的に作るもので、人々を支配権力に従属させるためのしかけである。その権力の代表が天皇である」と考えました。
 19歳の時、日本帝国主義を倒すことを志す朴烈と同志的な恋愛をして一緒に暮らすようになり、「不逞社」を結成します。朝鮮の独立と天皇制の打倒を志す二人は、爆弾の入手を計画はしますが、実現できないうちに検束されました。
 若い二人は生き延びることよりも、法廷を思想闘争の場にしようと考えて堂々と闘いました。死刑判決後、政府は「恩赦」で無期懲役にしましたが、文子はその書類を破り捨て、3カ月後、獄中で自殺しました。23歳でした。民族や国家を超えて同志として朴烈を愛し、被抑圧者と連帯し、自前の思想をつらぬいた一生でした。(朴烈は1945年に解放されました) (p.84~5)

# by sabasaba13 | 2017-10-13 06:23 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

近江編(39):八日町(15.3)

 朝、目覚めてカーテンを開けると、お天道様のご尊顔を拝することができました。天気は大丈夫そうですね。ホテルをチェックアウトし、近江八幡駅から近江鉄道八日市線に乗って新八日市駅に向かいます。切符を買おうとしたら、駅員さんに「がんばれ受験生! 合格パス」という、810円で一日乗り放題というお得な切符を勧められました。八一〇を縦に並べると「合」という字になるという芸の細かさ。ようがす、購入しましょう。彦根行きの列車に乗り込み、16分ほどで新八日町駅に到着。
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 うわっ、しぶっ。かなりがたがきていますが、1922(大正11)年に建てられた洋風の駅舎です。
 下車して歩いていると、鬼の角のような異形の山が見えました。古い煉瓦塀のところには、もうおなじみとなった「飛び出し小僧」が元気に飛び出そうとしています。扇型の縁起の良い透かしブロックを撮影し、地図を頼りに歩いているとお目当ての宮路医院旧病棟に着きました。
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 1929(昭和4)年頃の竣工で、連続窓が印象的な洋風建築です。
 なお棟木の出っ張った部分(でいいのかな)に「水」と記したお宅をよく見かけましたが、火難除けでしょうか。
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 「延命湯」という縁起の良い名の銭湯を撮影して八日町駅に到着。駅前にご当地ポストらしきものがあったのですが、乗っている物件がわかりません。ま、秘すれば花、そのうちわかるでしょう。時刻表を確認するために駅構内に入るとすぐにわかりました。「八日市大凧会館」、なるほど大凧だったのか。
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 今、東近江市のホームページを調べてみると、次のような一文がありました。一度見てみたいものですね。
 東近江大凧は、江戸時代中期に男子出生を祝って5月の節句に鯉のぼりと同じように揚げられたのがはじまりと言われています。村落ごとに競い合って凧揚げをしていたので、凧の大きさもだんだん大きくなりました。明治15年には、240畳敷きの大凧が揚げられたという記録が残っており、近年では昭和59年に揚げられた220畳敷きがあります。

 本日の三枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-10-12 09:14 | 近畿 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 22

 次は、大島事件に深く関わる亀戸署の動きです。(⑩p.51~6) 亀戸署が異常な雰囲気に包まれたのは、前日の9月2日午後7時以降です。それまでは管内に火災も少なく、比較的平穏でしたが、午後7時過ぎ、小松川町方面に「朝鮮人が暴動を起こしている」との流言が流れ、警鐘を鳴らす者がありました。 このとき、古森繁高署長(もと警視庁特高課労働係長)は自らサイドカーにまたがって陣頭指揮をとり、朝鮮人の検束を命じたのでした。この日には軍隊と協力して約760人、翌9月3日には500人以上の朝鮮人を検束しました。(『朝日新聞』 1923.10.11)
 しかし二夜で1300余人を検束するという状況は、深刻な恐慌心理を管内・署内にまきちらしました。署員数わずか230余人、おまけに1日正午の地震発生以来、警察官も兵士も不眠不休の緊張状態を強いられています。9月3日朝からの管内各所での中国人・朝鮮人虐殺は、こうした背景があって暴発しました。「大島事件」も亀戸署管内で起きた事件でしたが、既述のように計画性が感じられるものでした。しかしそれ以外の虐殺事件は、流言を盲信し、戒厳という状況下で、朝鮮人を敵と見なして殺戮するケースが多かったようです。若い兵士や警官が完全に興奮して「鮮支人は見つけ次第殺してもいいんだ」と口走る姿が、後に報告されています(「事件つづり」)。
 署内に検束された朝鮮人の中からも、数十人が殺されたという全虎巌(チョン・ホオム)氏の証言があります。これは尋問の結果、独立運動・労働運動・社会主義運動に関わった「不逞」な朝鮮人と認定された人たちかもしれません。
 朝になって我慢できなくなり便所に行かせてもらいました。便所への通路の両側にはすでに3、40名の死体が積んでありました。この虐殺について、私は2階だったので直接は見て居ませんが、階下に収容された人は皆見ているはずです。虐殺のことが判って収容された人は目だけギョロギョロしながら極度の不安に陥りました。誰一人声をたてず、身じろぎもせず、死人のようにしていました。
 虐殺は4日も一日中続きました。目かくしされ、裸にされた同胞を立たせ、拳銃をもった兵隊の号令のもとに銃剣で突き殺しました。倒れた死体は側にいた別の兵隊が積み重ねてゆくのを、この目ではっきり見ました。4日の夜は雨が降りましたが、虐殺は依然として行われ5日の夜まで続きました。(中略)
 亀戸署で虐殺されたのは私が実際にみただけでも5、60人に達したと思います。虐殺された総数は大変な数にのぼったと思われます。(⑨p.72~5)
 さらに3日午後4時、前述のように、第一師団司令官・石光真臣は「隷下各団体に対する訓示」を各部隊に通達しました。再掲します。
 (※朝鮮人が)計画的ニ不逞ノ行為ヲナサントスルガ如キ形勢ヲ認メズ、鮮人ハ必ズシモ不逞者ノミニアラズ之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルベカラズ宜シク此両者ヲ判断シ適宜ノ指導ヲ必要トス
 "之ヲ悪用セントスル日本人"、つまり社会主義者や労働運動家を「適宜」「指導」してよいというお墨付きを与えられた古森署長は、3日午後10時頃、川合義虎(南葛労働会)、平沢計七(純労働者組合)ら10人の労働運動家を、狙い打ちで検束しました。南葛労働会や純労働者組合は、悪法反対運動やメーデー、1922(大正11)年の大島製鋼所争議などをめぐって亀戸署と激しく対立していたのですね。また既述の証言者・全虎巌は、南葛労働組合のメンバーでした。学校に通うため2年前に来日した全は、朝鮮独立への思いから社会変革の必要を考えるようになり、この頃、ヤスリ工場の労働者として労組の活動を熱心に行っていました。警察と対立し、朝鮮人労働者との連帯を模索する労働運動のリーダーたちが、1300余人もの無実の人々が留置されているところへ送り込まれたわけです。留置場内の興奮と署内の緊張は、いよいよ高まったことでしょう。
# by sabasaba13 | 2017-10-11 06:19 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

選挙は買い物ではない

 いよいよ衆議院総選挙ですね。民進党のゴタゴタにつけこみ、「希望の党」の準備が整わないうちに、北朝鮮の脅威を煽って過半数の議席を獲得してモリカケ疑惑に蓋をするとともに、憲法・法律を無視してやりたい放題をしようとする安倍上等兵。あわよくば第二・第三・第四自民党と合わせて三分の二以上の議席を占めて憲法改正/改悪をしてしまおうという腹もあるでしょう。なんとも有権者を愚弄した姑息な手法ですが、これはそこまでなめられている有権者にも責任がありますが。

 さてこれまで安倍上等兵内閣がしてきた施策を整理しましょう。憲法違反の秘密保護法制・安保法制・共謀罪法制、沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設強行、秘密だらけのTPP交渉、安全を無視した原発の再稼働・輸出、福島の被害者に対する冷酷な態度、一般国民を苦しめる消費税増税、政府・官邸による恐るべき言論統制と情報操作などなど。アメリカ・大企業・経済的強者・自民党・官僚ファースト、経済的弱者の棄民と地方の切り捨て、過半数の議席を得た政権は万能であり批判は許さないという傲岸な姿勢、といったところでしょうか。よってこの政権を支持するのは、恩恵を与えられる1%(ぐらいかな)の経済的・社会的強者だと思うのですが、現実はさにあらん。何故、強者でない99%(ぐらいかな)の方々がこの政権を支持しているのでしょうか。自分を含めた弱者を切り捨てることが経済発展と国力強化に資すると考えているのか、「他の政権よりもまし」という理由にもならない理由なのか、はたまた中国・韓国・北朝鮮への強気な姿勢に惚れこみ自分も強くなった気でいるからか、よくわかりません。いずれにせよ、この阿漕で姑息で低劣な政権の本質を知らない、知ろうとしないことに原因があるのではと愚考します。ちょっと疑問に思って、ちょっと調べて、ちょっとを読んで、ちょっと考えればわかることなのに。政治に対してあまりに無知・無関心な人々が激増しているような気がします。

 今回の選挙は、上記の政策の是非が問われるとともに、憲法九条の改正(改悪)か維持かがとわれる非常に重要なものです。その結果、自民党とその同調勢力が勢いをつければ、強者ファーストに加えてアメリカの戦争の片棒を合法的に担ぐという事態になりかねません。有権者には、ぜひとも慎重に一票を投じて欲しいと衷心から願っております。
 ただ危惧するのは投票率です。前回の衆議院議員総選挙の投票率は52.66%… 今回の選挙は「弱いやつを切り捨てて戦争に突っ走るけどいい?」と問われているわけですが、「どうでもいいよ」と棄権する有権者がどれくらいになるのか。50%そこそこの投票率でこんな重要なことにゴーサインが出されたと強弁されてはたまったものではありません。でも心配だなあ。
 どうすれば投票所に足を運ばねば、と多くの人に思ってもらえるか。実は最近読んだ『転換期を生きるきみたちへ 中高生に伝えておきたいたいせつなこと』(内田樹編 晶文社)の中に、白井聡氏による「消費社会とは何か-「お買い物」の論理を超えて」という素晴らしい評論がありました。その一部を紹介します。
 問題は、「行っても無駄だ、だから行かない」という思考回路であり、これこそが、分析され、批判され、乗り越えられなければならない、ということです。
 重要なのは、「どうせ行っても何も変わらないから行かない」という行動様式は、消費社会のそれとしては正しい、ということです。投票するとはどういうことなのか。投票行動は買い物のようなものである、ととらえることができるかもしれません。このようなとらえ方は、少なくない政治の専門家が現にしています。お店で欲しいものを探し、それがあればお金と引き換えにそれを買うのと同じように、期待する政治家を選んで、お金の代わりに一票を入れる。この見方によれば、投票所に行ったのに積極的に票を入れたくなるような候補がいないという状態は、買い物に行っても欲しいものはないとあらかじめわかっているならば、家から出ない方が合理的な行動です。同じように、期待できそうな政治家がいないのならば、わざわざ投票所に足を運ぶことは、バカげたことであり、家で寝ている人の方が賢い、ということになります。
 こうしてわかることは、社会的矛盾が増大し、政治の果たすべき役割の重要さが増しているにもかかわらず投票率が下落し続けるのは、人々がある意味で合理的に行動している結果だ、ということです。しかしながら、ここで批判されねばならないのは、こうした行動に現れている「ある意味の合理性」「消費社会的合理性」にほかなりません。明らかにされねばならないのは、投票することを買い物と同じようなものととらえていることの根底的な誤りです。
 買い物と投票するという政治的行為の根本的な違いは、選択可能性ということです。お買い物に行った場合、私たちは選び放題に選ぶことができます。この店が気に入れなければ別の店へ、その店も気に入らなければまた別の店へと渡り歩き、どれも気に入らなければ何も買わないで帰る、ということも自由です。そのようにしたところで誰も文句は言わないどころか、どのお店でも店員さんは、何も買わなくても「またぜひお越しくださいませ」と実に丁寧な態度で接してくれます。なぜなら、物があふれた消費社会においては、どんなチャンスでもとらえてお客の欲望を掻き立て、物を買ってもらわなければならないからです。そのためには、お客の食指が少しでも動きそうな物を取り揃えておくわけで、そのなかから私たちは選び放題だし、それらの商品に私たちは関わらないでいることも選択できる、というわけです。
 これに対して、政治は全く違います。私たちの多くが選挙で棄権し、投票率が下がっても、誰かは必ず当選し、選ばれた人たちのなかから政権が成立します。その政権が愚かな政策を推進した場合、その悪影響は投票した人にもしなかった人にも及びます。政治を嫌ったり、政治に対して無関心でいることはできますが、嫌おうが放っておこうが、その影響から逃れることは誰もできません。政治における究極の事象は戦争ですが、戦争が起きた場合、その影響は生命への損害という形にまで高まります。
 ですから、「期待できる候補がいないから投票に行かない」という行動がどれほど愚かしいものなのか、すでに明らかだと思います。政治権力を委ねる相手を選ぶという行為は、買い物に出かけることとは、全く異なるものです。積極的に選びたい候補者がいようがいまいが、選ばれた権力は現実に私たちの生活に影響を及ぼします。その意味で、投票という政治的行為に、選択可能性はないのです。ぜひこの人に当選して欲しいという候補者がいない場合でも(そのようなケースは非常にしばしばあります)、私たちは「なるべくマシな」、もっと言えば「最も害の少なそうな」候補を選出しようとするのが、当然の行為です。政治は、お買い物と違って、積極的に選びたくなるものをお膳立てしてくれたりはしないのです。(p.214~6)
 そう、選挙はお買い物ではないのですね。私も「なるべくマシな」「最も害の少なそうな」政党と候補者を慎重に選んで投票所に行こうと思います。
# by sabasaba13 | 2017-10-10 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 21

 それではこの9月3日に起きた、さまざまな虐殺事件を見ておきましょう。

 まず、午後3時ごろ、南葛飾郡大島町(現・江東区)周辺で、大規模な中国人虐殺事件(大島事件)が発生しています。(⑨p.61~4) このあたりは大戦景気のなか来日し、工場などで働く中国人労働者千数百人が、60数軒の宿舎に集住していました。9月3日の昼頃、中国人宿舎に軍・警察・青年団があらわれ、大島8丁目の空き地まで多くの中国人を連れ出します。付近に住んでいた木戸四郎の証言です。
 5、6名の兵士と数名の警官と多数の民衆とは、200人ばかりの支那人を包囲し、民衆は手に手に薪割り、とび口、竹やり、日本刀等をもって、片はしから支那人を虐殺し、中川水上署の巡査の如きも民衆と共に狂人の如くなってこの虐殺に加わっていた。
 さらに午後3時頃、習志野騎兵連隊の岩波少尉以下69名、三浦少尉以下11人の部隊も虐殺に加わります。この虐殺を最大として、この日、大島の各地で同様の事件が起こり、殺された中国人の数は300人以上と見られます。言うまでもありませんが、当時の中国は中華民国という独立国、よって多数の中国人を日本の軍・警察・民衆が虐殺したということは、たいへんな国際問題です。
 8丁目の虐殺の唯一の生存者である黄子連が10月に帰国し、この事実を中国のメディアに語ったため、それまで日本救援ムードが強かった中国の世論は一変、日本への抗議の声が沸騰しました。郷里に帰った黄は、虐殺時に負傷した傷が化膿し、吐血するようになり、しだいに体を壊して2、3年後に亡くなりました。
 それでは何故このような大量殺人が行われたのでしょうか。震災時、朝鮮人が放火や爆弾といった流言のターゲットにされていたのに対して、中国人については流言が広がっていたという事実はありません。大島町の虐殺は、朝鮮人虐殺に見られるように混乱の中で衝動的に行われた様子もなく、むしろ明らかに計画性が伺えます。
 関東大震災時の中国人虐殺の研究を続けた仁木ふみ子氏は、その背景に人夫請負人(労働ブローカー)の意図があったと推理しています。第一次世界大戦に伴う好況も終わり、数年前から不況が始まっていました。日本人より2割も安い賃金で働く中国人労働者の存在は、日本人労働者にとっても、彼らを手配し、賃金をピンハネする労働ブローカーにとっても目障りであり、排斥の動きが起こっていました。一方、中国人を安く使っていた日本人ブローカーにとっても、僑日共済会の指導によって未払い賃金の支払い要求などを起こすようになった中国人は、もはや使いにくい存在になっていました。なお僑日共済会とは、社会事業家・王希天(ワン・シテイエン)によって1922年12月に結成された中国人救済組織です。この王希天という名前は記憶に留めておいてください。
 警察も中国人労働者を好ましく思っていませんでした。当時の大島町を管轄する亀戸署(署長・古森繁高)は、管内に労働争議の多発する工場を多く抱えていることから、公安的な任務を強く負った署でした。そのうえ中国人にまで労働運動を起されてはたまらない。行政レベルでも、日本人労働者保護のためとして、中国人労働者の入国制限・国外退去などを進めつつありました。
 労働ブローカーと警察が、朝鮮人虐殺で騒然としている状況に便乗して、日本人労働者をけしかけ、さらに「朝鮮人暴徒鎮圧」の功を焦る軍部隊を引き込み、中国人追い出しというかねての悲願を実行に移したのだ-というのが仁木氏の見立てです。そうであるとすれば、ほかの朝鮮人虐殺とはかなり様相の異なる事件です。いずれにしても、ディスプレイから腐臭がただよってくるような、悪辣かつ没義道な事件です。

 なお震災下で、虐殺された中国人の総数は、いぜん明らかになっていません。この大島町事件に加えて、横浜地区でも約150人の中国人が虐殺されという史料があります(ねずまさし 『日本現代史』4)。また神奈川県足柄郡土肥村で熱海線の工事に従事していた中国人労働者が被害に遭いました。(⑪p.ⅶ) 少なくみても、400人以上の中国人が軍隊・警察・民衆に虐殺されたといえそうです。(⑩p.57)
# by sabasaba13 | 2017-10-09 07:22 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

続・前原誠司という男

 アメリカの飼い犬、前原誠司氏については、以前に拙ブログで紹介しましたが、『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別』(新崎盛暉 高文研)を読んでいたら、また登場しました。以下、引用します。
 だが(※2010年)9月に行われた名護市議選では、稲嶺市長派が4議席増の16議席、島袋前市長派が1議席減の11議席となって稲嶺市長支持基盤は強固なものになった。前原誠司国交相(沖縄担当相)などが、民主党も推薦して当選した稲嶺市長の頭越しに、自公推薦で落選した島袋前市長やその周辺の利権がらみの地域ボスたちと接触し、多数派工作を繰り返したことへの反発もあっただろう。前原国交相や北澤防衛相は、鳩山首相が「国外、県外」の旗を降ろしてはいない1月の市長選挙の段階から、民主党沖縄県連は稲嶺支持であるにもかかわらず、裏で島袋前市長を支持していたとも言われ、落選後上京した島袋吉和を慰労していた。(p.55~6)

 すでにこれより先の(※2011年)7月、前原政調会長は、自民党の中谷元、公明党の佐藤茂樹と共に「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」の代表幹事として沖縄を訪れ、自公民いずれが政権を担おうとも、超党派で辺野古移設を推進していくと強調している。彼らの地元分断工作に尻を叩かれ、地元容認派は、「普天間移設と北部振興策は明らかにリンクしている」として「北部振興推進・名護大会」を開き(10月26日)、容認派から誘致派へと脱皮しつつある。(p.63~4)

 2010年9月、尖閣諸島海域で、中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件が起こった。当時、海上保安庁を所管する前原誠司国交相(沖縄担当相兼担)らは、この問題を利用して中国脅威論をあおり、在沖米軍基地、とりわけ普天間の海兵隊基地やそれに代わる辺野古の新基地建設の必要性を強調する根拠として、最大限利用しようとした。(p.78)
 今、読んでいる『終わらない〈占領〉』(孫崎享・木村朗編 法律文化社)にも登場しました。引用します。
 普天間基地問題で政権交代前に「国外移設、最低でも県外移設」を掲げていた鳩山民主党政権が、その基本方針を何ら具体化できずに「迷走」して放棄することになったのは、当時の官邸(平野博文官房長官)・外務省(岡田克也大臣)・防衛省(北澤俊美大臣)・国交省(前原誠司大臣)が、外務・防衛官僚と一体となって鳩山由紀夫首相の意思を無視して、従来の対米従属路線で動いたからに他ならない(のちにウィキリークス情報によって判明)。(p.77)
 やれやれ。ま、でも、極右の「希望の塔」に合流したことですっきりしました。後は衆議院議員選挙で、主権者である私たちが審判を下すのみですね。このまま沖縄の人々に犠牲を強いて平気でいる政党に投票するのか、道義心と人間性をもとに新基地建設に反対する政党に投票するのか。

 沖縄「返還」時に佐藤首相の密使を務めた若泉敬氏は晩年、平和を享受しながら沖縄に目を向けない本土を「愚者の楽園」と呼んだそうです(2010年6月19日放送NHKスペシャル 『密使 若泉敬 沖縄返還の代償』)。このまま「愚者の楽園」にいることを選ぶのか、それとも誇り高き別の道を歩むことを選ぶのか。
# by sabasaba13 | 2017-10-08 07:38 | 鶏肋 | Comments(0)