京都錦秋編(21):龍吟庵(14.11)

 そして今回のお目当て、塔頭の龍吟庵へと向かいます。普段は非公開ですが、秋の特別公開で見学することができます。国宝に指定されている日本最古の方丈があるのですが(撮影禁止)、やはり重森三玲作庭のお庭をぜひ拝見したい。なお方丈とは、禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見(応接)の間の役割が強くなりました。それではお庭についての解説板を転記します。
 昭和39年、国宝龍吟庵方丈の解体修理が完了したが、四周に庭園がなかったため、昭和の名作庭家の重森三玲に委嘱して12月2日から27日にかけて作庭された。
 南庭は古式により白砂だけの庭とし、「龍吟庭」と名付けられた西側の庭は白砂の大海と白モルタルの縁取りによって黒雲をあらわし、各所に配された石によって雲間から頭と胴をくねらせて飛翔する龍を表現している。庭を区切る竹垣は雷紋と稲妻紋をあらわす。
 東側の赤砂の石庭は開祖無関普門の幼少時代を表現したもの。我が国最古の方丈建築に、伝統を踏まえながらも自由な発想によって大胆に表現された作庭といえよう。
 まずは方丈正面の南庭へ、こちらは一木一草も用いず白砂のみの「無の庭」です。かつて儀礼に使われていたことを意識したとのことです。稲妻紋の竹垣がアクセントとなっています。
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 一転して西庭は「龍の庭」、のたうちまわる龍の頭・角・背を石で、海と雲を白黒の砂で表現した躍動感にあふれた庭です。特に、食い違うように斜めに置かれた鋭い立石が、心に残ります。白砂(雲)と黒砂(海)の砂紋を区切る地割をモルタルでつくるところは、三玲の面目躍如ですね。こちらの竹垣も稲妻紋。塀の向こうに覆いかぶさる紅葉がみごとに色づいていました。
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 そして最後が小さめの東庭、「不離の庭」です。幼い頃に熱病におかされて荒野に捨てられた開祖・無関普門、そこに襲いかかった狼から二匹の犬が彼を守ったという逸話をもとに作庭されたそうです。中央の平たい石が無関普門、その両脇にある二つの石が犬、残り六つの石が狼を表わし、奥には山型の竹垣がありました。緊張感にあふれた身の引き締まるようなお庭です。
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 本日の四枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-09-25 06:48 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(20):東福寺(14.11)

 JR大津駅から琵琶湖線に乗って京都駅へ、構内にあるコインロッカーに荷物を預けました。余談ですが、この時期に空いているロッカーを見つけるのは至難なのですが、近鉄改札付近およびその一階だと結構見つかります。そしてJR奈良線に乗り換えて次の駅が東福寺です。さすがは定番中の定番、紅葉の大御所、東福寺。もう車内は善男善女であふれかえっていました。ぞろぞろと人の流れと共に通天橋を一望できる臥雲橋に到着しましたが、やはり紅葉は盛りを過ぎて散りかかっていました。
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 しかしこれだけ楓があるのだから、まだ見頃の木も少しはあるだろうと期待して、入場料もとい拝観料を支払って境内へ。芋を洗うような通天橋、市松の砂紋が斬新な開山堂、散り紅葉が美しい洗玉澗をそぞろ歩いて、錦秋を堪能しました。
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 本日の五枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-09-24 06:35 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(19):大津駅(14.11)

 大津駅構内には「返せ!北方領土」「北方領土はこんなに大きい」「北方四島(きたのしま)を 返せと努力の 君の御霊(みたま)が 眠る納沙布 岬は春よ のどかな霞 向こうに国後 貝殻島が 島々(しま)を眺めて 返せと希(ねが)う 島々(しま)を眺めて 返せと希(ねが)う (島を返せと叫ぶ友よ 那須柿麿)」と記された巨大な地図が掲示されていました。いわゆる"北方領土"問題ですが、以前に納沙布岬を訪れた時の旅行記で、私の考えを述べましたの。考えに変化はないので長文ですが再掲します。
 いわゆる"北方領土"問題ですが、声高に、感情的に、居丈高に、「返せ」と怒号するのをやめないと、かえって解決を困難にしてしまうことになるでしょう。伊勢﨑賢治氏が、『日本人は人を殺しに行くのか』(朝日新書485)の中で述べられているように、相手の面子に関わるような強硬な抗議をすれば双方とも引っこみがつかなくなり、状況は悪化するだけ(p.208~9)。例えば、メドヴェージェフ大統領の"北方領土"訪問に対して日本政府が激烈な批判をしたことによって、ロシア国民の手前、ロシア大統領はますます訪問せざるをえなくなり、譲歩する訳にもいかなくなりました。ま、きちんと分析することをせずに不安や不満を抱える方々のガス抜きとして利用するのなら、話は別ですが。
 まずおさえておくべき点は、1951(昭和26)年に調印された対日講和条約において、"北方領土"については「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定されていることです(第2条c)。その範囲については、択捉・国後が千島列島に属することを、西村熊雄条約局長が1951(昭和26)年10月の衆議院特別委員会で認めています。つまり、択捉・国後はソ連領、歯舞・色丹は日本領という合意は成立していたのですね。もしこの了解に納得がいかず「日本固有の領土・四島を全て返せ」というのであれば、この講和条約の廃棄を宣言して、もう一度連合国相手に戦争をするのが筋でしょう。ちなみにドイツは、敗戦によってオーデル・ナイセ以東のシュレージエン、ポンメルン、東プロイセンをポーランドと一部ソ連に割譲しますが、「ドイツ固有の領土だから返せ」という話は聞いたことがありません。
 そして1956(昭和31)年、日ソ両国の国交回復をもたらした日ソ共同宣言は、「ソ連は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソ連との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と規定します。これを受け入れていれば、領土問題は解決していたはずです。しかし、日ソ間に紛争の火種を残すために、アメリカが介入します。「択捉・国後を手放すのなら、沖縄は返さないぞ」とね。この恐喝に屈した日本政府は前言を翻して、「択捉・国後は千島列島に含まれない」と主張、四島返還の立場を今に至るまで堅持しています。やれやれ。
 思うに、日本くらい隣国と領土問題を抱えている国も珍しいのではないでしょうか。ロシアとは"北方領土"、中国とは"尖閣諸島"、韓国とは"竹島"。これらの問題を解決することは、われわれにとって二つの意味で喫緊の課題だと考えます。
 まず一つ目。今、この国に瀰漫している、目を覆いたくなるような品性低劣なナショナリズムを燃え上がらせる燃料源を絶つため。鵜飼哲氏は、『ナショナリズム論・入門』(大澤真幸・姜尚中[編] 有斐閣アルマ)の中で、こう述べられています。

 自国および世界の現状を否定して未知の将来に賭ける気概が失われたとき、過去の歴史はもはや、緊張に満ちた対話の相手ではなくなる。それは現状を肯定し正当化する目的のためだけに動員され、「修正」され、編集されるべき素材に過ぎない。そして将来に向けて自己を高める意欲もなく、現在の自己に対する評価も内心芳しくなく、そして、それでも自己が上昇する幻想にだけは耽りたいとすれば、そのための唯一の手段は他者をおとしめることである。このようにして、グローバル資本支配下のナショナリズムは、歴史との絆を否応なく喪失し、とめどのない他者蔑視に陥ることになる。(p.351)

 「日本固有の領土を分捕ろうとするやな奴ら」と他者を貶めることによって、"自分たちは正しい"という幻想と快感に耽るのはもうやめた方がいいのでは。
 二つ目。この問題がある限り、アメリカの軛から逃れられないということ。アメリカにとって理想的な状態とは、日本が隣国と戦争に至らない程度の緊張を抱えていることです。そうすれば、"暗証番号の必要ないATM"日本からガバガバとお金を引き出して、在日米軍基地を維持できますから。また軍事力を強化して日本を"なめられない国"にしたい安倍伍長のような御仁たちにとっても、領土問題は格好の口実になるでしょう。もちろん三菱重工業をはじめとする軍需企業からの政治献金も増えるでしょうし。
 というわけで、「領土をめぐる緊張→軍事力強化と軍事費増大→社会保障費の削減→国民の不安と不満→強面な主張で隣国を貶め自己満足に浸る→ますます緊張が高まる→…」という気の滅入るような悪循環を断つためにも、一刻も早い領土問題の解決を望みます。では具体的にどうすればよいのか。まずは"日本固有の領土"という硬直した発想をやめることでしょう。ちょっと考えれば、"固有の領土"なんてあり得ないことは分かりそうなものですが。そして互いの利益になるような柔軟な対応をとること。テッサ・モーリス=スズキ氏が、『ナショナリズム論・入門』(大澤真幸・姜尚中[編] 有斐閣アルマ)の中で、こう述べられています。

 国民国家は近代的な産物であり、その辺境地域をめぐる統治は、自然や過去のつながりよりもむしろ、政治によって決定されてきたのだった。日本のような「島国」でさえも、多様な歴史と重層的な空間によって織り成されているのである。これらの事実を踏まえるならば、ある特定の場所を「わが国固有の領土」であると定義するような歴史の政治的利用は非常に胡散臭いと言えるだろう。たとえば、最も古い文書記録によれば、クリル/千島列島南部にはアイヌの人々が生活していたことが明らかになっている。そしてそのほとんどのアイヌは、同意することもないままに近代日本の国民国家に包摂されていったのだった。よって、そのような歴史を背景として、同列島が日本に「自然に」あるいは「固有に」帰属するという主張の根拠とすることはあまりにも脆弱なのである。じつは、最初に同列島を訪れ記録したのはオランダ人であった。しかし今日、誰もそのような事実が、オランダに列島の支配を主張する権利を与える根拠となるとは議論しないであろう。そしてここしばらくは、ロシアと日本が、同列島の権利をめぐり議論している。同列島の争いにしろ、釣魚島/尖閣諸島の領土をめぐる争いにしろ、歴史はそのような争いに単純明確な答えを出すものではないのだ。歴史とは、問題の存在を現在に問い返すことに過ぎないのである。すなわち、末来の新たなる争いの下地となるような敵意に満ちた遺産をつくることよりも、複雑に絡み合う近隣社会の権益に公平に配慮した紛争の解決策を見つけることが求められているのである。(p.107~8)

 具体的な方策については、伊勢﨑賢治氏が、『日本人は人を殺しに行くのか』(朝日新書485)の中で紹介されている「ソフト・ボーダー(柔らかな国境)」というやり方が参考になるでしょう(p.197)。領土を双方で防護し合うのではなく、両国の協力で管理する国境です。国境としての実効線はあるけれども軍事化はしない。互いに迷惑である密輸などの違法行為取り締まりは、警察間で協力するが、そこに軍を置いて銃を突きつけ合ったりはしない。場合によっては、国境を帯状の地域とし、そこに昔から住んでいる住民はビザなしで行き来できるようにしたり、河川・森林・天然資源などは共同で開発・管理したりする。国境が持つ排他的なイメージを変え、両国で共有する場とするわけですね。国境問題で係争関係にある世界中の国々で、究極の解決方法として試みられてきた方法だそうです。これは良いですね。互いの面子を潰さず、緊張を緩和し、実利も得られる。というわけでここは一つ、叡智と度量を見せて領土問題を解決してほしいのですが、安倍伍長。"国益"のために領土紛争は必要だと言うのなら話は別ですが。

 なお最近、関連図書として『領土問題をどう解決するか』(和田春樹 平凡社新書)と『日本の領土問題』(保阪正康・東郷和彦 角川oneテーマ21)を拝読しました。とくに前者の的確かつ鋭い分析には目を瞠りました。お薦めです。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-09-22 08:03 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(18):大津(14.11)

 朝、爽快に目覚めてベランダに出ると、おおっ雲ひとつない快晴です。朝焼けの空、琵琶湖と比叡山を眺めながら、紫煙をくゆらし珈琲をいただきました。低血圧の山ノ神が起きるのを待って朝食会場へ。いつものオムレツと、今日は珍しくご飯と味噌汁をいただきました。朝ごはんを食べるのに集中して半分上の空の山ノ神に本日の行程をレクチャー。
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 まずはバスで大津駅へ行き、JRに乗って京都駅へ。荷物をコインロッカーに預けて、宇治線に乗り換えて東福寺へ。こちらには重森三玲のお庭がどんどんどんと三つあります。東福寺方丈と竜吟庵と光明院を拝見して、バスかタクシーで智積院へ。われわれ御用達のお寺さん、養源院に寄り、京阪と地下鉄を乗り継いで、小堀遠州の庭がある二条城へ。そして嵐電に乗って妙心寺に行き、大宝院と退蔵院を拝見。花園駅からJRに乗って京都駅へ、地下鉄に乗り換えて錦市場へ行き、田中鶏卵で卵焼きを購入し、バスに乗って「平野屋」に行き「いもぼう」を堪能。そしてバスで京都駅に戻り帰郷。いかが。
 もぐもぐ あっ聞いていない。ま、小生に対する全幅の信頼の証と、好意的に解釈しましょう。部屋に戻って準備を整え、チェックアウトをしていざ出発。ホテル前から路線バスに乗ってJR大津駅に行きました。駅の近くに、ピクトグラム付きで「この周辺に自転車・ミニバイクを置くと撤去します!」という警告の看板を発見。下部には注意として「安全柵等にかけたチェーン鍵等は切断して撤去します。撤去時の破損等による責任は一切負いません」と記されていました。まるで犯罪者扱いですね、瞋恚の炎が燃え上がります。めらめら。化石燃料を貪欲に喰らい、有害物質を吐き出し、騒音で静かな環境を破壊し、人様を死や怪我へと追いやる悪魔の機械を優遇して、自転車に冷や飯を食わせる行政。C・ダグラス・ラミス氏が、『最後のタヌキ 英語で考え、日本語で考える』(晶文社)所収の「汚ない自転車」の中で、痛快かつ鋭い批判をされているので紹介します。
 池袋駅で電車を降り、道路を横切って、自転車を鉄のパイプにつないで鍵をかけておいた場所へ向かった。自転車は消えていた。
 私は自転車の盗難を届けに交番に行った。だが、お巡りさんは馬鹿にしたような顔で私を見ただけで、「あっちにあるよ」と言う。交番の裏には自転車が山積みになっていて、私の自転車もその中にあった。警察は、泥棒まがいの手口を使い、ボルト・カッターで錠前を切り落として自転車を持ち去ったのだ。
 私は、駅の近辺で合法的に自転車を置いておけるのはどこかと、お巡りさんに尋ねた。「ありません」というのが答えだった。お巡りさんは、警察が壊した私の所有物-錠前のことだが-を弁償しようというそぶりも見せなかった。
 これは、いわゆる「池袋クリーン作戦」の一環で、自転車相手の戦争である。私たちは、自転車は"汚ない"ものであり、公害の一種だと思いこまされようとしているのだ。毎朝、警察は、自転車の放置はいけないという説教を録音したものを何時間も繰り返して流し、その放送は駅前の騒音公害となっている。もちろん、警察の説教は、車やバスやトラックの轟音、急ブレーキの音、そして警笛の音にまぎれてしまって、ほとんど聞こえない。
 皮肉にも、近代的な交通手段のなかで無公害なのは自転車だけだ。騒音をたてないし、有毒排気ガスも出さず、石油を燃焼するわけでもない。自転車は世界で最もエネルギーの効率が良い乗物である。
 それでは、なぜ、莫大な額の公私の資金が、自動車の交通を安全にするために地表を全面的に変えるという目的で使われているのだろうか? その一方で、なぜ、警察は自転車通勤をあきらめるようにしむける職務を与えられているのだろうか?
 石油業界と自動車業界の重役室の中に、この質問に対する答えを知っている人々がいるのだろう。
 私は新しい自転車の錠前を買った。特別に堅い、鋼鉄製のやつだ。ボルト・カッターの方が歯こぼれしてしまうような錠前だということだ。(p.157~9)
 また経済学の観点から、自動車がいかに社会に様々な損失をもたらしているかを剔抉した『自動車の社会的費用』(宇沢弘文 岩波新書)という素晴らしい本もありますので、よろしければご一読を。

 本日の三枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-09-21 06:25 | 京都 | Trackback | Comments(0)

言葉の花綵147

 イギリス人はほかの者たちに活を入れるために、時おり提督を銃殺する。(ヴォルテール)

 統治者は市民の意思をくじくことはないが、それを弱め、ねじ曲げ、方向づける。行動を強いることはまずないが、つねに反対する。ものごとを葬り去りはしないが、生まれないようにする。暴政を行いはしないが、市民を妨げ、骨抜きにし、気力を奪い、情熱を失わせ、当惑させる。そしてついには、一人ひとりの国民を、政府によって注意深く見張られる、臆病で勤勉な動物の群れにおとしめるのだ。(『アメリカのデモクラシー』 アレクシ・ド・トクヴィル)

 人々が互いに働きかけることではじめて、感情と思想は自らを刷新し、心は広がり、人間の精神は発展するのだ。(『アメリカのデモクラシー』 アレクシ・ド・トクヴィル)

 世のなかには二種類の人間がいるんだ、友よ。弾の入った銃を持つ奴と、地面を掘る奴だ。(『続・夕陽のガンマン』)

 暴力がピークに達するのは、帝国が崩壊するときではなく、後退するときである。(ニーアル・ファーガソン)

 決して恥じてはいけない。また少しも恥ずるには及ばない。外国語を習う上に、一ばん避けなければならないのは、恥ずることである。外国語だもの、忘れるのは当然なのだから、幾度忘れても決して恥じてはいけない。(『寒村自伝』 カガン君)

 人を幸せにするようなものを創りなさい。(清水多嘉示)

 誰も誰をも代表しない。誰も誰にも代表されない。(日本女性学研究会)

 原発を動かすということは、それだけで人々を不安という牢獄の中に閉じ込めるのと同じなんです。(草薙順一)

 政治的中立とは、政権から距離を保つことであって、政権の意向を慮ることではないんです。(佐藤康宏)

 利口である必要はない
 お前に必要なのは立ち止まって
 考えることだ (キース・ラミス)

 国連がうまく機能しないからといって、国家主義や孤立主義に戻ろうとは言うまい。平和のための最大の貢献は、常に国連の枠内で国連と共に努力することであり、その構成を高め、その決定が直ちに受諾されるよう、いつも機会を見失わないことである。(コーデル・ハル)
# by sabasaba13 | 2016-09-19 07:53 | 言葉の花綵 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(17):陶然亭(14.11)

 見るべきほどの庭は見つ、自害はしないで夕食を食べに行きましょう。そう、陶然亭です。わくわく。京都市役所前駅からふたたび地下鉄東西線に乗って三条駅へ、京阪鴨東線に乗り換えて四条駅で下車。十分ほど歩くと、予約をしておいた陶然亭に着きました。とんぶり、あなご、さわら、かわはぎの肝、そして私の大好物・じゃこめしに焼きプリン。いずれも劣らぬ逸品、舌鼓をエルヴィン・ジョーンズのように乱打しながらいただきました。ふと気づくと倉本聡の色紙が飾ってありましたが、御主人と知り合いのようです。来年も、この店で食べるために、元気で働こうと二人で誓い、琵琶湖ホテルへと戻ります。
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 三条駅まで歩いて京阪電車に乗って浜大津駅へ。歩いてホテルに帰り、売店で人気のゆるキャラ「ひこにゃん」を撮影し、ビールと「七味屋」の七味入りポテトチップを購入。大浴場で汗を流し、部屋のベランダに出て、漆黒の琵琶湖を眺めながら一献傾けました。早いもので明日はもう最終日です。
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 本日の八枚です。Bon Appetit.
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# by sabasaba13 | 2016-09-18 07:56 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(16):がんこ二条苑(14.11)

 もう少し歩くと、がんこ二条苑に着きました。こちらは和食の料理店ですが、小川治兵衛がつくった庭、高瀬川源流庭苑があります。事前に調べたところによると、お店の方にことわれば拝見できるそうです。さっそく入店して係の方に「お庭を見せてほしい」と頼むと、すぐに快諾。解説のパンフレットをくれた上に、お庭の案内までしてくれました。多謝。パンフレットを転記します。
 京の人々に古くから親しまれ愛されてきた高瀬川の流れは、豪商角倉了以の別邸跡「がんこ高瀬川二条苑」を通り、木屋町通りをくぐって再び姿を現します。
 おおよそ400年前の慶長16年、了以によってつくられた当庭苑はその後、明治の元勲山縣有朋の別邸「第二無鄰庵」となり第三代日本銀行総裁川田小一郎の別邸、阿倍市太郎の所有を経て、現在は大岩邸として伝わりがんこ二条苑高瀬川源流庭園となっております。
 時刻は午後七時すこし前、そろそろ夜の帳がおりかかり庭も溶暗しつつありますが、処々に置かれたライトが煌々とあたりを照らしています。私としては、風景が不自然に綺麗に見えてしまうライト・アップは好きではありません。やはり庭園は自然光のもとで見たいものです。シカゴ・カブスのオーナーであるフィリップ・リグレーが"野球とは陽光を浴びてプレーすべきもので、電灯の光のもとでプレーするものではない"と言ったそうですが、異議なし、議事進行。せめて庭師が配慮して置いた灯籠に灯を入れて見せてほしいですね。
 ご丁寧にお店の方が、連れ沿って説明をしてくれました。ここの紅葉は色づくのが遅く、ちょうど今が見頃とのことです。こちらは小川治兵衛による作庭ですねと話を向けると、わが意を得たりと莞爾、しばらく植治の話で盛り上がりました。最後は、対龍山荘をぜひ公開してほしいということで意気投合。
 さて肝心のお庭ですが、池泉回遊式ですが、池泉ではなく流れとなっています。鴨川から取水したみそそぎ川がここを通り高瀬川に流れ込みます。水量豊かな流れで、この水の動きと潺の音が、庭全体に躍動感を与えています。流れを渡るための、リズミカルに置かれた沢渡石と、シャープな切石の橋の対比も妙ですね。ここを渡ると滝口が組まれており、一枚岩の大きな水落石が屹立しています。東山から高瀬川が滝のように流れるとういイメージでつくられたそうです。その先にあるのが日本一大きな灯籠、吾妻屋風灯籠。なるほどこれはでかい。主屋に付属している欄干は、明治時代に能舞台として使われていた名残です。縞々模様のある石は滋賀県瀬田川の虎石で、川の水の浸透力で虎模様が刻まれたそうです。着物の袖の形をしているので、「誰か袖」と命名された蹲がありました。庭の奥には、小堀遠州によって作庭された茶庭があるそうですが、暗くてよく見えませんでした。無念。
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 なおこのお庭は、米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」(JOJG)が発表する2015年の「日本庭園ランキング」の第48位に選定されています。"So what"と(以下略)
 楓もそれほど散ってはおらず、人工照明に照らされているとはいえ、その美しさを堪能できました。うん、高瀬川源流庭苑、いいですね(ロハだし)。こんどはぜひとも陽光を浴びた光景を見てみたいものです。再訪を期す。

 本日の五枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-09-16 06:26 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(15):高瀬川一之船入(14.11)

 高瀬川に沿ってさらに歩いていくと、奥に入江が広がっているところがありました。解説板によると、ここが「高瀬川一之船入」です。
 この立札の後方の入江を一之船入という。
 船入とは、荷物の積み下ろしや船の方向転換を行う場所で、二条から四条の間に九箇所作られたが、国の史跡に指定されているこの場所を除いてすべて埋め立てられている。
 高瀬川は保津峡の開発などで有名な江戸初期の豪商・角倉了以・素庵が慶長十九年(1614)頃に開いた物流用の運河で、この辺りを起点として鴨川の水をとり入れ、鴨川に平行して東九条まで南下し、鴨川を横断して伏見に通じていた。水深が浅いことから、底が平らな高瀬舟という船が使われ、ここから川の名前が付けられた。
 盛時には百数十艘が上下して伏見を通じて大阪などの物資を運び入れ、京都の経済に重要な役割を果たした。木屋町筋には「木屋町」という町名の由来となった材木屋をはじめ、多くの問屋が立ち並んで賑わった。
 明治以降、高瀬川は次第に舟運の目的を失い、大正九年(1920)に舟運は廃止されたが、清らかな水と桜や柳が美しい情緒溢れる景観が、多くの市民や観光客を楽しませている。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-09-15 06:25 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(14):遭難之碑(14.11)

 三年坂、そして二年坂へ、ここから見る八坂の塔は絵になります。私の大好きな京の風景です。そして東大路通に出てバスに乗って東山三条で下車。地下鉄東山駅へと向かいますが、途中にあったマクドナルドの看板は、景観への配慮からか白文字でした。古川町商店街は、以前に訪れたことがあるのですが、地元に密着したざっかけない商店街です。錦市場より良い買い物ができると思いますけれどね。そして東山駅から地下鉄東西線に乗って京都市役所前駅で下車、構内にはユニークなポスターがありました。
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 地上に出て高瀬川沿いに北上し、がんこ二条苑をめざします。途中にあったのが二つの「遭難之碑」、解説板を転記します。
佐久間象山大村益次郎遭難之碑

 元治元年(1864)七月十一日、木屋町通を馬に乗って通りかかった佐久間象山は、刺客に襲われて斬られ絶命した。
 象山は信濃(長野県)松代藩士で、洋学・砲術を学び、開国論を唱え、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰ら多くの俊才を教育した。
 この時は幕府の命で上洛し、海防の相談に与るとともに公武合体策をすすめていた。時は池田屋事件の直後でいきりたっていた攘夷派は、学者象山の説をも受け付けなかった。
 それから五年後の明治二年(1869)九月四日、木屋町通の東側にあった宿所で大村益次郎が刺客に襲われて斬られ、その傷がもとで同年十一月五日大阪の病院で没した。
 益次郎は周防国(山口県)長州藩士、家は医者であったが、医学とともに西洋兵学を学び、兵学の第一人者となって幕末の長州軍を率い、また戊辰戦争の指揮に活躍した。ついで、明治政府の兵部大輔となり、近代兵制(国民皆兵など)の創立に努力した。そのため、不平派士族に襲われた。
 思えばこの二人を筆頭に、幕末から維新にかけて多くの逸材が兇刃に倒れました。思いつくだけでも、井伊直弼、ヘンリー・ヒュースケン、吉田東洋、清河八郎、坂本龍馬、中岡慎太郎、大久保利通、広沢真臣。無名の士を入れればその数はどれほどになるのでしょう。その後も、森有礼、星亨、原敬、安田善次郎など間歇的にテロルは起こりますが、昭和恐慌を機にまた猖獗を極めます。浜口雄幸、井上準之助、団琢磨、犬養毅、永田鉄山、高橋是清、斎藤実、渡辺錠太郎… こうしたテロリズムの根底に流れるのは、敵対する者、異端なる者の人権の軽視だと思います。異を唱えると人権を脅かすぞと恫喝しながら、集団を一つにまとめ上げ(強制的同質化=グライヒシャルトゥング)、その能力を最大限に発揮させようとする。幕末・維新の変革も、急速な近代化も、総力戦の遂行も、そして戦後の高度経済成長も、われわれ日本人はそうやって達成してきたのではないでしょうか。
 さすがにテロルや直接的暴力には及んでいませんが(たぶん)、現状でも国家権力の政策に異を唱える方々の人権を蹂躙することが平然と行なわれています。例えば、自民党・文部科学部会長を務める木原稔衆院議員のツイート内に貼られたリンク先に「学校教育における政治的中立性についての実態調査」があるそうです。"「子供たちを戦場に送るな」というのは、政治的中立を逸脱している。そんな発言をした「先生方」は自民党に報告してほしい"という呼びかけです。批判が殺到したために「子供たちを戦争に送るな」から「安保関連法は廃止にすべき」という文言に変わったそうですが、そうした発言を、いつ、どこで、だれが、何を、どのようにしたかを報告してほしいという要請は変わっていないとのこと。陰湿な恫喝によって反対意見を封じ込める、思想・信条・表現の自由を蹂躙して愧じるところがない、こういう政党を政権与党として君臨させているところに日本人の知的劣化と知的怠惰を痛感します。安倍伍長率いる自民党のお歴々は、車寅次郎のあの名セリフを座右の銘とされているのでしょう。
 人権だかジャンケンだかしらねぇが、おまえらにそんな洒落たものはねぇんだ。

 本日の三枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-09-13 07:31 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(13):五龍閣(14.11)

 というわけでこの清閑寺、国道一号線が近くを通るので車の音が少々五月蠅いのが玉に疵ですが、いいお寺さんでした。石段をおりると、さきほどは気づかなかったのですが高倉天皇陵がありました。帰り道にあった本正寺の駐車場には、「違反者は1分でも5,000円のお布施をもらいます」という警告。そ、そ、それは罰金というのではないのか。退却→転進、敗戦→終戦、占領→進駐、と事態をオブラートにくるむ語法ですかね。
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 ゲートを出ると、こちらへ向かってくる若者四人連れから、「この先に何かありますか」と訊ねられたので、私は「穴場」、山ノ神は「静かな寺」とほぼ同時に答えると…顔を見合わせて引き返していきました。やれやれ。ていうとなにかい、君らは"賑やかで有名な所"に行きたいのかい、とからむのも大人げないですね。
 清水寺を抜けて清水坂に出ると、こちらも芋を洗うような大混雑。
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 途中で左に折れて、さきほど旅館「白河院」で知った五龍閣に寄ってみましょう。登録有形文化財というプレートと解説がありましたので転記します。
五龍閣 大正十年竣工
 この建物は約百年前、清水焼窯元を洋食器・ガイシ・陶歯の製造へと国際的な事業に発展させた明治の起業家松風嘉定の邸宅で、主に迎賓館として使用された。
 設計は京都帝国大学建築学科の創設者である武田五一によるもので、三階まで続く吹抜け階段室は建物に空間的な広がりをもたらし、続く四階望楼ではあたかも天守閣のように、京の町並や、それを取囲む山々を見渡せる。
 ステンドグラスや暖炉を配し洋風を基調とするが、清水寺門前であることへの配慮か鴟尾を載せた瓦屋根で、近代建築に和風を融合させた武田の傑作のひとつである。
 当時の進取の気風あふれた五龍閣は、京都を代表する貴重な住宅遺構として、国の文化財に登録されている。
 外観は大胆不敵・自由奔放、出窓やペディメントやバルコニーやメダリオンがごしゃごしゃと自己主張をしています。中は喫茶室となっており、お店の方にことわって階段室を見せてもらうことにしました。なるほどこれは見事な空間構成となっていますね、吹抜けをめぐる木製階段がまるでモダン・アートのようです。窓ガラスも洒落た意匠です。こちらの喫茶室で一服したかったのですが、あいにく満席。残念ですが引き上げましょう。
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 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-09-12 06:28 | 京都 | Trackback | Comments(0)