京都錦秋編(4):金地院(14.11)

 それでは茶室を拝見しましょう。まずは方丈に上がりますが、ここから見るお庭も素敵ですね、障子と鴨居でフレーミングされた一幅の絵です。座観式の額縁庭園なのかもしれません。ここから先は、事前に予約しておかないと入れません。なおここからは写真撮影は禁止とのことでした。なぜなんだろう? フラッシュをたかなければ問題はないと思うのですが。せめて一言、理由を説明してほしいものです。係の方の案内にしたがってしずしずと奥へ進むと、八窓席の襖に長谷川等伯が描いた「猿猴捉月図」と「老松」がありました。前者は手長猿が池に映った月を取ろうと手を伸ばすところを描いた絵、後者は恰幅のよい松の古木を描いた絵です。等伯が描く動物って、ほんとに生き生きとしていますね。
 そしてお目当ての、以心崇伝の依頼により小堀遠州が既存の建物を改造して建てた茶室、八窓席です。写真を撮れなかったので、京都文化観光資源保護財団のサイトをご覧ください。まず目を奪われるのが、室内の明るさです。外に面した三つの連子窓と一つの下地窓の障子をとおして入ってくる、柔らかい光が茶席を充たしています。なお室内に飾り窓である床脇の墨跡窓、袖壁の下地窓があるので、合わせて窓は六つ。八という数字は、多くの数という意味か、改修されているので元は八つの窓があったの、諸説あるそうです。空間構成もいいですね。天井は二分され、平天井と片流れ屋根の化粧屋根裏(掛込天井)が絶妙のバランスです。床柱の松皮と、床框(とこがまち)の黒漆の、対比の妙も洒落ています。遠州の「きれいさび」、堪能いたしました。
 なおこの茶室と、大徳寺・孤篷庵の忘筌席、曼殊院の八窓軒を合わせて京都三名席と言うそうです。忘筌は時々特別拝観が行なわれているようなので、是非拝見してみたいものです。八窓軒について調べたところ、電話で予約すれば拝見できるとのこと。うーむ、また京都を訪れる理由ができてしまった。また国宝茶席三名席もあり、京都山崎妙喜庵の待庵、京都建仁寺正伝院にかつてあり、現在は犬山城下有楽苑にある如庵、そして大徳寺龍光院の密庵だそうです。前二者は訪れたことがあるのですが、密庵は完全非公開。惜しいなあ。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-08-29 08:55 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(3):金地院(14.11)

 まずは金地院を紹介しましょう。もともとは室町時代に4代将軍足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺です。1605年、家康・家忠・家光の徳川三代に仕えて外交や寺社政策にたずさわった「黒衣の宰相」以心崇伝が、南禅寺の塔頭として現在地に移しました。そして家康の遺髪と念持仏を祀る東照宮、二つの茶室をそなえた数寄屋、徳川家の永久の繁栄を願う庭の設計を小堀遠州に依頼しました。その関与について、崇伝は日記『本光国師日記』に詳細に記しており、確実に遠州作と示し史料が残っているのはここのお庭だけだそうです。
 小堀遠州については、岩波日本史辞典から引用します。
小堀遠州 1579‐1647(天正7‐正保4.2.6) 江戸初期の大名、茶人。名は政一。号は大有宗甫。近江小堀村に生れ、1604(慶長9)父小堀新介正次の遺領備中松山1万2000石余を継承(のち近江小室に移る)。08年遠江守。江戸幕府の作事奉行、国奉行をはじめ、伏見奉行などの役職を歴任。茶の湯・造庭にすぐれ、茶は古田織部に師事、のちに3代将軍徳川家光の茶の湯指南。利休風のわび茶を基本にしながらも、東山時代以来の書院の茶を復活させて優雅な王朝文化の要素をとり入れ、<きれいさび>といわれる茶風を軸に、寛永文化の中心として活躍した。
 きれいさびのお庭と茶室、楽しみです。まずは弁天池をぐるりとまわりますが、紅葉の盛りは過ぎていました。無念。雨にしっとりと濡れた散りもみじは綺麗でしたが。東照宮を拝見して長い石段を下っていきます。降りたところにあった切石の飛石は、自然石をまじえた「遠州好み」の洒落た意匠でした。『京の庭の巨匠たち』によると"加工石(切石)の「真」、加工石と自然石の「行」、自然石の「草」"と言うそうです。さしずめ"行"でしょうか。
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 そして方丈の前にひろがる「鶴亀の庭」に着きました。広く敷かれた白砂の奥に、石組と刈込が配置された「鶴亀蓬莱様式」の枯山水です。中央には、仏教の三尊仏を三個の立石で現わした三尊石組、背の高い主石(中尊石)と背の低い添石(脇侍石)を配した構成です。不老不死の仙人が住む理想郷である蓬莱山に見立てています。長寿延年を祈願する亀島が左に、鶴島が右に配されています。力強さにあふれたバランスの良い石組ですね。端正で小ぶりな燈篭がよいアクセントとなって、全体の構成をぴりりと引き締めています。なお遠州の関わった庭には、花押のごとく必ず置かれる富士山石も灯籠の左手前にありました。以心崇伝を祀る開山堂へと続く、大きく曲がりながら打たれた飛石も印象的です。微妙に角度を変えて置かれた少々ふぞろいの切石に、遊び心を感じます。
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 石組の背後にわきたつようにもこもこと植えられた刈込が、石組の厳しい表情を和らげて、優しい雰囲気を醸し出しています。なお重森氏によると、日本庭園における植木の剪定は、夏の京都という高温多湿の場所で、庭園内が涼しげに見えるようにという理由で始まりました。これがのちに、木々を寄せて植え、ひとつの固まりにしたところ、茶畑のような美しさに見えることから大刈込という手法が生まれたそうです。
 なお小堀遠州は庭の細部にわたって設計・指図をしましたが、実際に仕上げた職人は後陽成天皇に「天下第一の名手」と絶賛された賢庭です。彼は醍醐寺三宝院も作庭しています。

 本日の五枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-08-28 11:37 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(2):金地院(14.11)

 朝、目覚めてベランダに出ると、琵琶湖も比叡山も朝靄にかすんでいます。テレビの天気予報を見ると、今日は曇りのようです。ま、雨が降らないだけでも諒としましょう。曇りの方が、紅葉の色が綺麗に撮れるしね、と引かれ者の小唄で朝食会場へ。
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 バイキングですが、その場でオムレツを焼いてくれるのが嬉しいサービスです。具を全部入れてもらったオムレツに舌鼓を打ちながら、半分上の空の山ノ神に本日の行程をレクチャー。
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 まずは事前に予約をしておいた金地院のお庭と八窓席を拝見。そして昨年はJR東海キャンペーン「そうだ京都、行こう」で取り上げられて黒山の人だった天授庵を訪れましょう。私の見立てでは、今年はガラッガラでしょう。ちなみに今年のキャンペーンで取りあげられたのは鷹峯の源光庵、きっとパッツンパッツンに混んでいて来年はガラッガラでしょう。そして久しぶりに南禅寺の三門にのぼって「絶景かな」とあたりを睥睨しますか。穴場の南禅院を見て、小堀遠州作と伝えられる南禅寺方丈庭園を拝見。すこし歩いて小川治兵衛(植治)作の白河院庭園を訪問。ここからはタクシーを利用することにしましょう。穴場の日向大神宮に寄ってもらった後、将軍塚へ。京都の町を眺望して清水寺へ。清水寺を散策しながら、その奥にあるという未踏の穴場、清閑寺に寄りましょう。三年坂・二年坂を歩いて東大路通りへ行き、バスと地下鉄を乗り継いで小川治兵衛(植治)作のがんこ二条苑を見学。ふたたび地下鉄に乗って、予約をして置いた陶然亭で夕食をとり、京阪電車に乗ってホテルへ、いかが。
 もぐもぐ あっ聞いていない。ま、小生に対する全幅の信頼の証と、好意的に解釈しましょう。部屋に戻って準備を整え、いざ出発。浜大津ホールとなりの大銀杏は落葉しはじめていました。うーむ、紅葉の盛りは過ぎてしまったかな。浜大津駅から京阪電車に乗って蹴上駅で下車。地上にでると粉糠雨が降っています。やれやれ、天下無双の晴れ男という看板もそろそろおろさにゃならんか。
 インクラインの下を通るトンネルを抜け、対龍山荘の門前を、指をくわえて通り過ぎ金地院へ。受付で予約の確認葉書を提示して拝観料を支払いました。そちらに置いてあったのが栗の皮で作った茶杓、しぶいですね。
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 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-08-26 08:29 | 京都 | Trackback | Comments(0)

京都錦秋編(1):前口上(14.11)

 すっかり高齢、もといっ恒例となった京都錦秋の旅、2014年はお庭めぐりをからめて紅葉を楽しむことにしました。小堀遠州による金地院庭園と南禅寺方丈庭園と二条城庭園、小川治兵衛(植治)による白河院庭園とがんこ二条苑、重森三玲による東福寺方丈庭園と竜吟庵庭園と光明院庭園を拝見する予定です。なお金地院にある京都三名席の一つ「八窓席」の見学は事前予約が必要なので、往復はがきで手続きをとっておきました。二日目の夕食は、もうすっかり病みつきになった名店・陶然亭を予約。定宿の琵琶湖ホテルと往復の新幹線をJTBのフリー・プランでおさえてもらい、準備完了です。持参した本は『怠ける権利』(ポール・ラファルグ 平凡社ライブラリー)です。なお出発直前に読み終えた『日本の10大庭園 -何を見ればいいのか』(重森千靑[ちさを] 祥伝社新書)がなかなか参考になりました。そう、わが敬愛する重森三玲のお孫さんにあたる方です。作庭と庭園研究をされており、体験に基づいた平易な語り口で、小生のようなど素人にも分かるように庭についての基礎知識を授けてくれます。例えば…
 日本庭園は、池の表現であると同時に、石組の表現である。このうち、池の部分をとくに取り上げて呼んだものが「池泉庭園」であり、石組の部分がとくに強調されたものが「枯山水」と考えてよいだろう。(p.18)

 「いかにして、人工と自然のバランスをとるか」が、作庭の最重要テーマだった。(p.50)
 また私の愛読書、『シリーズ 京の庭の巨匠たち』(京都通信社)の「小堀遠州」「植治」「重森三玲」も、関連したところを読みなおしました。

 霜月の末日、金曜日の夜に東京駅で山ノ神と待ち合わせ、駅弁「牛肉道場」を購入。「天下無双」という、ラベルにあったキャッチ・コピーについはめられてしまいました。おっ、屋久島の焼酎「三岳」を売っているぞ、もちろんこれも買い。新幹線に乗り込んでさっそくいただきましたが、「天下無双」というほどでもなかったですね。ま、それなりに美味でしたが。
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 京都駅から東海道線に乗り換えて大津へ、タクシーに乗って琵琶湖ホテルに到着しました。大浴場につかり、部屋のベランダで夜の琵琶湖と比叡山を眺めながら、缶ビールと「三岳」を堪能しました。
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# by sabasaba13 | 2016-08-25 08:40 | 京都 | Trackback | Comments(0)

秩父編(8):(14.10)

 復路はSLではなく、13:43発の普通の列車で帰りました。14:17に秩父駅に到着、すこし駅周辺をぶらつきました。ところどころに残る古い商家を撮影しながら散歩をしていると、「うんちの出るすごいお茶あります」という何ともザッハリッヒなポスターを発見。
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 線路に沿って駅方面に歩いていると、遠くから汽笛の音が聞こえてきます。ラッキー、ちょうど蒸気機関車がやってくるところでした。至近距離から、駆け抜けるSLを撮影。
 そして駅前からタクシーに乗って旧秩父駅舎に行ってもらいました。十分ほどで到着し、撮影をする間、待っていてもらうことにしました。解説を転記します。
 秩父鉄道の前身上武鉄道は、明治34年熊谷を基点に創業、大正3年大宮町(現秩父市)まで延長秩父駅(停車場)が開設され、以来秩父地域交通の要となり、昭和58年同所に、秩父地域地場産業振興センター建設に伴い同59年現在地へ移築復原されたものである。
 この駅舎は、当地出身の坂本朋太郎博士の設計といわれ、吹きぬけ部を構造の中心に四辺の下り棟勾配をアクセントに、大屋根の量感とが簡潔な調和を見せ、ハイカラな外観を形成、山間秩父における象徴的洋風建築といえよう。
 秩父の玄関口として70年、行きかう乗降客の風情に世相の変遷を眺めてきたにちがいない。
 大きな屋根、ちょこんと乗っかる望楼、ファサード一杯のたくさんの窓、そしてハーフティンバーの洒落たテイスト。なかなか魅力的な駅舎でした。その前には「招木の渡し舟」が野外展示してありました。
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 そして西武秩父駅まで行ってもらい、特急「レッドアロー」に乗って帰郷。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-08-23 09:10 | 関東 | Trackback | Comments(0)

秩父編(7):(14.10)

 見るべきほどのものは見つ、それではSLに乗って三峰口へと行きましょう。秩父鉄道の秩父駅で予約した乗車券を購入してホームに行くと、たくさんの親子連れで賑わっていました。そしてぶおーと入線してきたのが、蒸気機関車のC58「パレオエクスプレス」号です。とたんに機関車に群がって写真を撮りまくる子供たち、もちろん私もその中に加わりました。
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 客車に乗り込み、12:15に定刻通り出発です。がっしゅがっしゅぽーと秩父の野を疾駆する蒸気機関車、沿線にはおおぜいの撮り鉄のみなさんがカメラを構えていました。
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 そして12:50に三峰口駅に到着、ここの駅舎も古い物件ですね。踏切を渡って線路に沿ってすこし歩くと、お目当ての転車台がありました。解説を転記します。
 転車台とは、ターンテーブルともよばれ、車両の方向を変えるための機械です。運転台が1箇所しかない車両を進行方向に向けるのに必要な設備です。
 秩父鉄道の電気機関車には運転台が前後に2箇所あるので、方向転換の必要がありませんが、SL運転には転車台が必要なため、平成元年に広瀬川原の車両工場と終点の三峰口駅にそれぞれ1台づつ設置しました。
 へーどうやら、蒸気機関車のために転車台を新設したようです。その見識には敬意を表しましょう。あっりがとさん! そしてしずしずとやってきたC58がターンテーブルの上に到着。ぐうるううううんと回り、180度方向転換をしました。
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 列車を載せて回る転車台を見るのは茂木駅天竜二俣駅に続いて三度目ですが、何回見ても胸がときめいてしまいます。ええもん見せてもろた。

 本日の三枚です。
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# by sabasaba13 | 2016-08-22 06:32 | 関東 | Trackback | Comments(0)

言葉の花綵146

 人間よ、恥を知れ、と私は言いたいのだ! 呪われた悪魔でさえも、悪魔同士で固い一致団結を守っているのだ、それなのに、生けるものの中で理性的な人間だけが、神の恩寵を受ける希望が与えられているにもかかわらず、互に反噬し合っている。神が、地には平和あれ、と宜うているにもかかわらず、互に憎悪と敵意と闘争の生活にあけくれ、残虐な戦争を起しては地上を荒廃させ、骨肉相食んでいる始末だ。これでは、(もしそれに気づけば、われわれは当然一致協力すべきはずなのに)、あたかもこの地に地獄の敵が人間を囲繞し、その破滅を日夜耽々として窺っているのを、まったく知らないものの如くだ! (『失楽園』 ミルトン)

 悪の根源である強欲、呪わしくも邪悪、有害なあの悪徳は、気高い罪悪、浪費に仕えた。その傍らで奢侈は百万の貧乏人を雇い、険悪な自尊心がもう百万を雇った。羨望、虚栄は産業の召使いとなった。(『蜂の寓話-私悪すなわち公益』 バーナード・デ・マンデヴィル)

 やさしくなくては学者ではない。(宇沢弘文)

 国のためなら電信柱にだって頭を下げるさ。(池田勇人)

 水俣病患者を見ると、これが犯罪でないのならば、ほかに犯罪がありうるものかという感想をなんびとでも抱くであろう。(藤木英雄)

 殺せ、と命じる者を殺せ! (埴谷雄高)

 I refuse to honor you by answering.
 I don't want to go down the gutter with you by answering. (モース上院議員)

 戦争は、すべての事物の生みの親だ。(ヘラクレイトス)

 人間はだれもが、自分の利益のために動いている。(ネイサン・マイヤー・ロスチャイルド)

 もし人びとから愛されることができないのであれば、恐れられる存在になれ。(マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド)

 ある社会の既存の基盤を、確実かつ巧妙に覆すには、その社会で通用する通貨を無価値にするに限る。(レーニン)

 海で生きるもんは体一つが元手だ。家だとか物にこだわっちゃなんねえだ。突風に吹かれても家に帰ろうと思うな。なんでもいいから船を風に向けて、一番近い陸へ向かって逃げるだ。命がありゃいつでもやり直しはきくだ。(『カムイ伝』 白土三平)

 Quis custodiet ipsos custodes ?
 誰が規制者を規制するのか? (ラテン語の問い)
# by sabasaba13 | 2016-08-13 06:37 | 言葉の花綵 | Trackback | Comments(0)

秩父編(6):(14.10)

 通りに戻ってすこし歩くと、薗田家住宅主屋・表門がありました。解説を転記します。
 薗田家は、秩父地方全域から惣社・鎮守として信仰されてきた秩父神社の宮司家です。
 主屋は、木造総2階建て、南北棟の切妻造り、平入桟瓦葺き屋根で、明治末期ごろに武甲山山麓の民家の部材を用いて建築したと伝えられています。正面側には入母屋造桟瓦葺き屋根の式台を備え、社家らしい雰囲気のある外観をみせた建造物です。
 表門は、木造一間一戸の切妻造の桟瓦葺き屋根で、2本の門柱とその前後の袖柱からなる四脚門という格式の高い形式で、部材に欅材をふんだんに用いた丁寧なつくりとなっています。両側には桟瓦葺き屋根付きの板壁を備えてあります。秩父神社の宮司家の屋敷表門としての十分な存在感のあるものとなっています。
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 そして最後の物件は秩父銘仙出張所二、解説を転記します。
 大正時代から昭和時代初期に秩父銘仙の取引で賑わった当時、近在近郷の織物工場が製品取引をするための出張所が建ち並び「買継ぎ通り」や「出張所通り」と呼ばれたところに所在し、この建物も、当初は秩父銘仙取引の出張所として建てられたものです。
 建物は、桁行五間梁間四間の木造2階建ての切妻造平入桟瓦葺き屋根で、正面には半間の下屋を設けています。もとは中央部の壁で2戸に分けられ正面意匠、間取りとも左右対称の構成をとる二戸一棟の形式でありましたが、現在は1戸として使用されています。外観内部ともに部分的な改修がみられますが、正面1階の欄間付の掃出しガラス戸や正面2階の漆喰壁、木製ガラス窓と戸袋など、建築当初の面影を色濃く残しています。周囲に残る旧出張所を含め、秩父銘仙で賑わった当時の商業地区の景観の一端を今に伝えています。
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# by sabasaba13 | 2016-08-12 06:42 | 関東 | Trackback | Comments(0)

秩父編(5):(14.10)

 その隣にあるのがカフェ・パリー、解説を転記します。
 この建物は、店舗兼用住宅の木造2階建て片流れ造金属板葺き屋根となっています。屋根は正面側が高く、この屋根を隠す位置までラスモルタル塗の外壁が大きく立ち上がり、最上部にコーニスを廻しています。コーニスの下にはエッグアンドダーツ(卵鏃文様)のモールディングが施されています。小屋裏にあたる位置は窓を付け3階建てを思わせる外観となっています。正面建具はこの小屋裏窓の他は建築当時のものではありませんが、窓上部の装飾はみな当初のものとなっています。このように外観は近代洋風の様相となっていますが、内部は店舗部分の調理場と客席を除き、従来の木造建築の様相となっています。
 昭和時代初期から昭和30年代にかけての秩父の賑わいを今に伝える近代商店建築の一つとして貴重な建造物となっています。
 ラスモルタル(lath+mortar)とは、鉄線を編んだワイヤ-ラスなどを下地にしたモルタル仕上げのことだそうです。アンバランスな窓の配置が面白いですね。今では「食堂パリー」となっていますが、なぜ"パリ"ではなく長音をつけたのでしょう?
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 というわけでこの一角では、まるで昭和にタイムスリップしたようなレトロな雰囲気を楽しめます。
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 ここから秩父駅に向かって歩き、途中の路地に入ると近藤歯科医院がありました。解説を転記します。
 この建物は、昭和2年(1927)に歯科医院を開業し、その際に建築されたものです。一部に増築部分があるものの全体的な建物の規模は当初からのものとなっています。
 建物は、平入の切妻造瓦葺屋根の木造2階建て一部平屋建てとなっており、東から住居棟、医院棟、勝手棟を配して建てられています。
 外観は、ハーフティンバーや縦長の上げ下げ窓を用いるなど全体的に近代洋風建築の特徴で統一し、内部は医院部分を西洋の意匠と居住部分に和風の意匠で使い分けをしています。
 近代医院建築が数棟残る秩父市内において、和洋の両特徴も兼ね備えた特徴的な一例として挙げられる貴重な建造物となっています。
 柱をむき出しにしたハーフティンバーと縦長の大きな窓が印象的な、洒落た洋館です。
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# by sabasaba13 | 2016-08-11 06:42 | 関東 | Trackback | Comments(0)

秩父編(4):(14.10)

 向かい側にあるのが旧大月旅館別館。解説を転記します。
 この建物は、番場通りと昭和通りの交差する角地に建てられた木造2階建てで、屋根の四周に外壁が立ち上がり、最上部にコーニスが施してあります。簡潔な装飾で統一されており、アールデコの意匠を感じさせるたたずまいとなっております。
 建物は、交差点を意識して、建物の正面を隅部として出入り口を設け、角地の立地を生かした配置となっております。
 大正15年(1926)に旅館の別館として建築された当時は、1階が遊技場、2階が従業員の部屋として使用されていました。
 この付近には、昭和時代初期から昭和30年代にかけての賑わいを伝える近代商店建築が集中している所で、この建物も当時をしのばせる貴重なものとなっています。
 そうですね、全体としてシャープな造形がアールデコを感じさせます。コーニスの下に配置された四本のラインがいいアクセントになっています。
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 その向かい側が安田屋です。解説を転記します。
 この建物は、番場通りと昭和通りの交差する角地に建てられた木造2階建て片流れ造金属板葺き屋根となっています。屋根は北東側(昭和通り側)が高くなっており、この屋根を隠す位置までモルタル塗の外壁が四周に大きく立ち上がり、最上部にコーニスを廻しています。また、屋根裏部屋の位置には窓を付け3階に見えるような外観となっており、この屋根裏の窓が建築当初のものとなっています。窓の上にはアカンサスをあしらった装飾をつけています。洋風意匠を摂取した店舗兼用住宅となっています。
この付近には、昭和時代初期から昭和30年代にかけての賑わいを伝える近代商店建築が集中している所で、この建物も当時をしのばせる貴重なものとなっています。
 ちなみにアカンサスとは地中海アザミのことですね、ギリシアのデロス島で見たことがあります。
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# by sabasaba13 | 2016-08-08 06:32 | 関東 | Trackback | Comments(0)