瀬戸内編(42):閑谷学校~高梁(08.2)

 裏手には明治につくられた校舎があり、資料館として利用されていました。土足をぬいでスリッパにはきかえようとすると、「スリッパはつま先が自分の方へ向くようにげた箱に入れて下さい」という貼紙。さすがは閑谷学校。
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 そして約束の時間通りに迎えに来てくれたタクシーに乗り込みました。運転手さん曰く、聖廟の前にある2本の楷(かい)の木が毎年11月初旬に紅葉し、それを目当てに多くの観光客が訪れるそうです。でもあの講堂は、誰もいない森閑とした状況の中で見たほうが絶対にいいですね。運転手さんも賛同してくれました。なお閑谷学校を世界遺産に認定してもらおうという運動もあるそうです。駅に着くと、吉永町の観光地図がありました。ふーん、「黒い雨」「八つ墓村」はこのあたりでロケをしたんだ。その近くには「自衛官募集」の看板。愛国心教育の狙いの一つは、この応募者を増やすためでしょうか。
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 やってきた列車に乗り込み、車窓から流れゆく農村風景を眺めていると、「和気清麻呂公碑」という大きな石碑が見えます。そして停車した駅が「和気」、なるほど彼はこのあたりの出身だったのか。
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 岡山駅に到着し、伯備線に乗り換えて高梁へと向かいましょう。駅弁「まるまる穴子寿司」を仕入れて、特急やくもに乗り込みさっそくたいらげました。この列車には椅子付きの小さな喫煙室がついているので紫煙を一服、喫煙愛好家にとっては識見を感じる処遇ですね、助かります。
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 三十分強で備中高梁駅に到着。お目当ては日本で一番高所にある山城・備中松山城と、小堀遠州が町割をした古い町並みです。まずは宮本常一氏のご尊父善十郎氏が「村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上がってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなところがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない」と言われたように、町で一番高いところにある備中松山城へと行きましょう。しかし標高430mの臥牛山頂上に建つゆえ、そう簡単にはいきません。まず駅前で客待ちをしていたタクシーに乗り、町中を走りぬけ、山道を上り十数分でふいご峠駐車場に到着。車はここまでしか来られませんので、ここから二十分ほど山道を歩くことになります。途中で、山なみに囲まれた小宇宙のような高梁の町を見晴らせる場所がありました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-10-31 06:08 | 山陽 | Comments(0)
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