このあたりでは野猿が出没するそうですが出くわさず、正面の唐破風屋根が印象的な天守閣を擁する連郭式山城・備中松山城に到着です。
鎌倉時代、有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和3)年に水谷勝宗によって3年がかりで修築、今の天守の姿となったそうです。特別、城に関心があるわけではありませんが、江戸時代の天守閣が残ると聞くとついつい寄ってしまいます。ちなみに現存する天守閣は十二、
弘前城(青森県弘前市)、松本城(長野県松本市)、丸岡城(福井県坂井市)、犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)、
姫路城(兵庫県姫路市)、
松江城(島根県松江市)、備中松山城(岡山県高梁市)、
丸亀城(香川県丸亀市)、
松山城(愛媛県松山市)、
宇和島城(愛媛県宇和島市)、高知城(高知県高知市)ですね。なんだかんだいって、いまだ訪れていないのは丸岡城だけとなりました。
内部は石落しや狭間などの遺構がよく残っています。
天守閣の最上階に上りましたが、残念ながら木々にさえぎられそれほど眺望はよくありません。さてここから歩いて町の中心部へと行きましょう。一時間ほど山道を下ると、武家屋敷・白壁の長屋門・土蔵が路地の両脇に連なる石火矢町ふるさと村に到着。
その近くにある高梁高校のあたりは、藩主が日常の政務を執った居館である御根小屋跡、豪壮な石垣が残されています。高校の門の脇には、登録有形文化財に指定されている洋館・有終図書館がありました。
本日の二枚です。