屋久島編(27):喜界島(08.3)

 そして島の西部にある坂嶺小学校の奉安殿(天皇・皇后の写真と教育勅語を収納)へと向かいます。実は神社等に再利用されている奉安殿はけっこうあるのですが、往時のまま小学校敷地内に残されているケースはきわめて珍しいものです。私が知る限りでは、石垣島の登野城小学校だけ。「変質者? そんなのいるわけないじゃん」という雰囲気の開放的な敷地内に入ると、校舎の手前にありました。アール・デコ?表現主義?風の幾何学的な装飾のある、コンクリート製の奉安殿です。アルミの戸がつけなおされているので開けてみると、「プログラム28番大むかで競争」と書かれた段ボール箱と自転車のリム数個。どうやら体育用具入れとして余生を送っているようです。
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 校舎前には最近つくられた二宮金次郎像があるのには驚き。
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 ここから数分のところに「雁股の泉」があります。保元の乱(1156)で敗れ伊豆大島に流された源為朝が琉球に渡ろうとした途中で時化にあい、喜界島の沖合に流されます。島に人がいるかどうかを確認するために船上から雁股の矢を放ち、上陸後その矢を抜くと清水が湧きだしたそうな。今では濁り澱んだ泉となっています。
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 そして奄美民謡で有名なウラトミ、ムチャ加那を偲んで建立した碑のあるムチャ加那公園へ。「昔、奴隷同様に働く百姓に、ウラトミという娘がいた。ウラトミはとても美しい顔立ちをしていたことから、村の役人の妾になるよう命じられる。しかし、ウラトミはこれを拒んだ。怒った役人は、ウラトミを奄美大島本島から喜界島へ流した。島流しである。ウラトミは、そこでムチャ加那という娘を産む。このムチャ加那もまた非常に美しかったため、村の女性たちの嫉妬を買い、海に沈められ、殺されてしまう。ショックを受けたウラトミは、自らの命を絶ってしまう」という悲話のヒロインたちですね。なおこの役人は薩摩藩から派遣されたという異伝もあるので、薩摩の過酷な収奪に対する怒りもこめられている話かもしれません。丸く盛り上がった土台の上に楕円形の碑がたおやかに立っていました。この公園入口の脇には「望郷の碑」という故郷を離れた方々が出身地である小野津を思って建てた碑がありました。
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 そして壇ノ浦で敗れた平資盛ら平家の残党が上陸したと伝えられる「平家上陸之地」という碑を拝見。このあたりが島の最北部ですが、空港から50分ぐらいかかりました。
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 次は島の東部へとまわりこみ、風葬跡を見学。隆起珊瑚礁の洞窟にコンクリート製の入口がついており、中を覗きこむと小さな祠と壺がいくつか見えました。この墓地では、もりあがる珊瑚礁の巨岩の間に墓が点在しており、このあたり一帯が風葬の地だったのかもしれません。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-12-13 06:10 | 九州 | Comments(0)
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