「問題はグローバル化ではないのだよ、愚か者」

 「問題はグローバル化ではないのだよ、愚か者 人類が直面する20の問題」(J・F・リシャール 吉田利子訳 草思社)読了。著者は世界銀行のヨーロッパ担当副総裁、本書のねらいは人類が直面する地球規模の問題を整理し明確にし、そして対策を提言するという気宇壮大なものです。なんとも挑発的なタイトルは、"グローバル化(globalization)"という概念は曖昧なため議論が発展しない、よってより具体的な現実に踏み込むべきだという著者の考えが反映されています。また、グローバル化という大きな変化を食い止めようとするよりも、それに対応する方策を模索すべきだという考えも含まれています。これは反グローバル化の激しい運動やデモに悩まされている世界銀行の立場を代弁しているのかもしれませんね。
 どこから考え手をつければよいのか、万里の長城の前で呆然と立ち竦む遊牧民族のようなわれわれに、問題を把握するための有効な見取り図を示してくれます。氏曰く、世界を根底から変化させている前代未聞の大きな変化は二つ、爆発的人口増加と、技術革新・経済革新によってもたらされたニュー・ワールド・エコノミーである。そして前者からはかつてない負荷が、後者からはかつてない負荷とチャンスがもたらされている。その結果として、人類が直面する20の問題を、三つのカテゴリーに分けて分かりやすく提示されています。
地球の共有―グローバルなスペースにかかわる問題
 ・地球の温暖化
 ・生物多様性とエコシステムの危機
 ・漁業資源の枯渇
 ・森林破壊
 ・水不足
 ・海洋の安全と汚染
人間らしさの共有―グローバルな努力が必要な問題
 ・貧困との闘いの大幅な強化
 ・平和維持、紛争停止、テロとの闘い
 ・すべての人々のための教育
 ・グローバルな伝染病
 ・デジタル・デバイド(情報格差)
 ・自然災害防止と緩和
ルールの共有―グローバルな規制が必要な問題
 ・21世紀のための課税システム
 ・バイオテクノロジーのルール
 ・グローバルな金融機構
 ・違法な麻薬
 ・貿易、投資、競争のルール
 ・知的財産権
 ・eコマースのルール
 ・国際的な労働と移民のルール
 足が竦んで目をそらしたくなりますが、見事な要約だと思います。そしてそれぞれの問題に関する説明や分析を、あえて単純化の危険をおかして述べられています。われわれに残された時間は20年(いや本書が上梓されたのが2002年ですから実質14年)、迅速で効果的な取り組みを一刻も早く始めなければならないというのが、著者の主張です。ではどうすればよいのか? 氏は大変ユニークな提言をされています。グローバル市民という意識をもった人々が国境を越えて結集し、問題解決のためにインターネットを活用したネットワーク型ヴィークル(媒介物)を立ち上げること。そして国民国家の利害や打算を超えた地球規模での対策・規範をねりあげること。そしてそうした対策・規範に対する各国の努力を評価し、ランクをつけること。(規範を無視したら「ならず者」国家として名指しで非難!) 氏はこれを評判効果とされ、マネーロンダリング・リストや環境保護基準などではきわめて有効であったと述べられています。さすが世界の経済問題という修羅場の第一線で活躍されてきた人物、着眼点が違いますね。
 他にもさまざまな対策を考察されているのでぜひご一読を。いずれにせよ、残された時間はもうほとんどないという冷厳な事実だけは銘肝しましょう。なお以前に書評で紹介した「貧困の世界化 IMFと世界銀行による構造調整の衝撃」には、途上国の社会と経済を意図的に崩壊させ「ニュー・ワールド・エコノミー」にひきずりこんだのがIMFと世界銀行およびその背後にいるG7諸国と多国籍企業だという指摘がありました。それに関する言及が本書には見当たらないのですが、これは事実と違うのか、あるいは全く責任を感じていないのか、非常に気になるところです。

 なお本書の原題は"High Noon"、そうフレッド・ジンネマン監督の映画「真昼の決闘」を意識したものですね。ならず者が町に復讐にやってくるが、保安官は町の人々に見放されてたった一人で迎え撃つ。その到着する時刻が正午(ハイ・ヌーン)。意味深な原題です。ならず者とは誰か、そして保安官とは誰か。著者は、今世界は、変化を恐れ憎む人々と変化を歓迎し糧にする人々に分かれているとまとめられています。前者がならず者、後者が保安官なのかもしれません。どちらにしろ、ハイ・ヌーンは刻々と近づいてきます。
by sabasaba13 | 2009-01-14 06:19 | | Comments(0)
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