阿佐ヶ谷・高円寺・西荻窪編(3):阿佐ヶ谷団地(08.5)

 そしてもう少し歩くとお目当ての阿佐ヶ谷団地に到着です。前掲書によると、ここは1958(昭和33)年に日本住宅公団によってつくられた分譲住宅地です。設計は前川國男設計事務所、総戸数350戸。いかにも団地といった集合住宅と、二階建てのテラスハウスから構成されていますが、何といっても見どころは後者です。広い緑地と木々の中に点在する白いテラスハウス、そこには塀も門もありません。つまり公共のスペースと私有のスペースをわける境界がないのですね。自動車の通れない細い歩道を歩いていると、公共空間である緑地と個人住宅が渾然一体となっている様子がよくわかります。
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 孫引きですが、ここはぜひ計画者の津端修一氏に語ってもらいましょう。(雑誌「住宅建築」1996.4)
 阿佐ヶ谷団地のテーマは、コモンでしたね。やはり、日本のまちというのは、人が通る街路と、区分された個人の宅地で構成されていて、公共空間としては公園がありますが、管理は自治体などが行いますから、『コモン』という概念は日本の住宅地のなかにはなかったといえるでしょう。だから、個人のものではない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなものを、市民たちがどのようなかたちで団地の中に共有することになるのか、それがテーマだったんです。(中略) いわゆる都市計画上の公園とは異なった、『市民たちの庭』と考えていたわけです。それが、どのように住民にとって管理されるか、スペース全体を市民たちが自分の財産としてどう使いこなすことができるか、それが大事だと
 三浦氏も共感されている、「得体の知れない緑地」という表現は魅力的ですね。管理責任者によって使用目的を決められてしまうのではなく、みんなで喧々諤々わいわいやりながら使いこなし共有の財産にしていく。今のわれわれにとって参考となるコンセプトだと思います。これまで何度かふれていますが、日本語の「公(おおやけ)」という言葉には大きな家、つまり財・権力をもつ人というニュアンスが強く深く組み込まれていると考えます。よって「公共」という言葉にも、財・権力をもつ人が決めたことに逆らわず従順に従えという意味合いが強く含まれています。「公共の利益のために、自衛隊・米軍・原子力発電所の存在を甘受・容認せよ」といった政治家・官僚がよく使う物言いはその典型。"公共の利益"の中身に"権力者・富豪の利益"がすべりこんでしまうのが、この国の恐ろしいところです。つまるところ、公共心とは、みんなのためにプラスになることを人任せにせずにみんなでやろうよ、という意識・行動だと思います。本当の"公共"を権力者や富豪からわれわれの手に取り戻すには、経験を積むしかないのでしょうね。そういう意味でこの団地の試みは興味深いものですが、寡聞にしてこうした計画が建築界に大きな影響を与えたという話を聞きません。身のまわりを見回しても、相も変わらず私空間の固まりである高層マンションがにょきにょき建てられつづけていますし。少々気になるところです。
 なお建て替え計画が進行中のようで、私が訪れた時は住人の方はほとんど退去されていました。新しく生まれ変わっても、この得体の知れない雰囲気はぜひ残してほしいと思います。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-01-19 06:12 | 東京 | Comments(2)
Commented by lotus at 2009-01-30 11:01 x
初めまして。何故かメモにあった「正春寺」を調べていて、こちらのブログにいきつきました。私もこの住宅、去年見に行きました。子どもを育てるのにいい環境だなと思いました。ところで桜上水にも同潤会の一戸建て住宅があるらしいのですが、ご存知ですか?
Commented by sabasaba13 at 2009-01-31 08:14
 こんにちは、totusさん。私が訪れたのも去年ですが、取り壊しの方はどうなっているのでしょうか。人間らしい暮らしができそうな、良い雰囲気をぜひ残して欲しいものです。桜上水の同潤会団地については初耳、ご教示に感謝します。これから調べてみます。
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