長瀞・寄居・小川・岩槻編(3):和銅遺跡(08.7)

 さて、それでは和銅遺跡に行きましょう。ここから長瀞駅までは、お土産やの建ち並ぶ小道を抜けて五分ほどです。秩父方面への列車に飛び乗り、ふと車内広告を見ると、ここ秩父鉄道でもSLを一日に一本は知らせていることを知りました。真岡鉄道ではまって以来、SLと聞くとアドレナリンがふつふつと分泌してきます。おっ、長瀞駅通過が11:33、ちょうど見られる頃合いです。さてさて十分ちょっとで和銅黒谷駅に到着、ホームでは和同開珎の大きなレプリカが出迎えてくれました。
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 さっそくさきほどもらったパンフレットを片手に散策を開始。国道140号線に出て、長瀞方面に少し歩くと右手に大きな案内表示がありました。まずは銅の産出を祝うためにつくられた聖神社へ、神殿前には和同開珎の大きなレプリカが展示してありました。ここから車も通れる坂道を数分上っていきます。道端には「不法投棄禁止 ごみをすてると法律で罰せられその事実を公表します」という看板がありました。ううむ、こっぱずかしくて近所づきあいができなくなるよ、ということでしょうか。ある意味では、世間とかコミュニティがこのあたりではまだまだ息づいているのですね。これは世間体の問題ではなく、環境破壊につながる行為だと思いますが。
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 数分歩くと、右手の山道に道しるべの案内表示がありますので、後はこれにそって気持ちのよい遊歩道を歩いていけば数分で到着です。山の斜面に沿って流れる小さな沢のあたりに、大きなモニュメントがありました。橋を渡り、急な坂道を上っていくと露天掘りの跡も見ることができます。
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 それにしても、発見者は自然銅であることがよくわかったものだと思います。やはりある程度鉱物に関する知識をもった人物(渡来人?)の存在を想定したくなります。なお余談ですが、1998(平成10)年に、奈良県明日香村・飛鳥池遺跡の工房跡から、鋳張りのついた富本銭や鋳棹が多数出土し、さらにその後の研究の結果、日本最古の鋳造貨幣は富本銭であったことはほぼ定説となってようです。私はまじない用の厭勝銭かと思っていたのですが、どうやら朝廷によって鋳造された実質的な価値をもつ貨幣であったとのこと。パンフレットや解説板には、それについては一言もふれていませんが、そろそろいさぎよく認めてもいいのではないかな。駅に戻る近道を歩いていると、古い地名を解説する表示がところどころにありました。「どうねんぼう(銅洗堀):和銅石の泥を洗い落とした沢」「どんじ(殿地):役人が詰めていた屯所」などなど。古い地名を大切に残せば、歴史を解明する重要な鍵となることを痛感します。
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 そして和銅黒谷駅に到着、乗降客も少なそうなのにちゃんと駅員さんが常駐しています。秩父鉄道の見識は高く評価したいですね。非常時の対応、観光や道の案内、ちょっとした触れ合いなどなど、お金では買えない働きがあるのだから、無人駅をぜひともなくしてほしいものです。この時も関西弁のカップルと駅員さんが和気藹々と、長瀞ライン下りについて語らっていました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-02-07 07:15 | 関東 | Comments(0)
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