長瀞・寄居・小川・岩槻編(6):鉢形城址(08.7)

  歴史館から車道に戻り、左方向に進むと堀・土塁をともなう二の曲輪・三の曲輪がきれいに整備されていました。石積土塁や四脚門も復元されています。味方や敵の動きを知悉し、最善の攻撃・防御ができるよう、地形を上手く利用しながら緻密に曲輪・堀・土塁等を構築していく。中世の城跡の魅力はこれですね。クラスター爆弾を落としてthe endという昨今の非対称的戦闘とはえらい違いです。少なくともそこには体と命を張った人間の営みを感じることができます。でもいずれにせよ戦争は嫌だな。「七度の餓死に遇うとも、一度の戦いに遇うな」という古い諺に心から賛同します。
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 それでは次の目的地に行きましょう。肉体および魂およびお天道様と相談した結果、秩父鉄道でとなりの波久礼(はぐれ)駅まで行き、そこからタクシーを利用することにしました。途中にあった電柱には「悪の芽は冷たい家庭のすきまから 寄居警察署」という標語。いくらなんでもそこまで家庭に責任を押しつけることはないと思います。たぶん青少年による犯罪を念頭においているのでしょうが、小悪に目を向けさせ、巨悪の跋扈を放置する、昨今の風潮をよく物語っていますね。「悪の芽は政官財の利権から」とすべきです。その近くには山崎屋という風格ある木造建築の旅館がありました。
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 さて寄居駅から列車に乗り、次の波久礼駅で下車。小さな駅ですが、やはり駅員さんが常駐しています。ほんとにこれは心強い。駅前にはタクシーの"た"の字もなく、公衆電話(筆者注:私は携帯電話をもっておりません)からタクシー会社に連絡をとり、ハイヤーをお願いしました。待っている間に周囲を見ると、駅舎前に句碑があることに気づきました。「波久礼から日暮れて梅の花白し 西望」 西望? もしや彫刻家・北村西望かしら。裏側にまわって碑文を見ると、その通りでした。彼は大戦中の1945(昭和20)年から48年まで、この地にある矢那瀬の高徳寺に疎開しており、上京する際にはこの駅をよく利用したそうです。昨年の秋、島原半島にある彼の生家を訪れたばかりなので、不思議な縁を感じます。こうした偶然の出会いも旅の楽しみの一つですね。そうこうしているうちに、タクシーがやってきました。運転手さんにお訊ねしたところ、時間貸切よりもメーターの方が安くあがるということなのでそうしてもらいましょう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-02-10 06:09 | 関東 | Comments(0)
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