長瀞・寄居・小川・岩槻編(7):秩父事件顕彰碑(08.7)

 まずは秩父事件記念碑のある稲荷神社へ。荒川にかかる寄居橋を渡り、渓流に沿った坂道を数分ほど上ります。なおこの神社には観世音菩薩像があり、その旨を書いた案内板もありました。「日本(やまと)の里」の前を走り抜け、みかん園があつまる九十九折の坂道を数分上り、「森田園」を過ぎると右手石垣の上に記念碑がありました。さっそく下車し、いそいそと近づくと「-明治の世直し革命- 秩父事件顕彰碑」と刻んであります。碑文によると、秩父困民党の一斉蜂起が1884(明治17)年11月1日と決定されると、風布地区を中心とした近郷共鳴者約150名が武装してここ琴平山に結集、下吉田の椋神社にいた本隊と合流して戦ったとのこと。なおこの碑を建立したのはJR東労組です。
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 すぐ上にも郷土史研究会有志が建立した「秩父事件追念碑」がありました。その碑文によると、隣にある観世音菩薩像は事件顕彰のためにつくられたとのことです。
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 これまで秩父市内、吉田村、馬流など秩父事件関連の史跡を経巡ってきましたが、また一つ出会うことができました。なぜ秩父事件にひかれるのか。資産家の優遇と民衆からの収奪を基本的な政策とした政府に対して、組織的かつ計画的に行われた最大規模の民衆蜂起、という点かと思います。こうして見ると今の日本は、「秩父事件前夜」的状況ですね。持参した本によると、派遣労働者、フリーター、ニート諸氏による集会やデモが年を追うごとに増えてきているそうです。暴力的手段に訴えることには賛成しかねますが、徒党を組んで抗議の声を張り上げる必要があるでしょう。秩父事件に加わった方々の遺志を継ぐべき時だと思います。蝉の声が鳴り響くなか、ひんやりとした石碑に手をふれながらそんなことを考えてしまいました。タクシーに戻ると、運転手さん曰く、秩父事件を映画化した「風の乱」撮影の際に、役者さんたちを乗せたそうです。そして撮影の時に、数百人のエキストラがあげた凄まじい鬨の声が忘れられないとのこと。私たちも鬨の声をあげなくっちゃね。マーチン・ルーサー・キングの言葉です。「本当の悲惨は、独裁者の暴虐ではなく、善良な人々の沈黙である」

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-02-11 07:46 | 関東 | Comments(0)
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