長瀞・寄居・小川・岩槻編(13):岩槻(08.7)

 さてそれでは最終目的地・岩槻に向かいましょう。小川町駅から東武東上線で川越に戻り(約40分)、JR埼京線に乗り換えて大宮へ(約17分)、そして東武野田線に乗り換えて約12分で岩槻に到着です。小川と同様、観光案内所も観光地図も貸し自転車もありません。郷土資料館に行って資料や地図を入手することにしましょう。なおここ岩槻は、太田道灌が築いた岩槻城を中心とする城下町として、また日光御成街道の宿場町や、一と六の日に市が立つ市場町として町です。何といっても有名なのが岩槻人形。江戸時代初期、日光東照宮造営の工匠が、仕事を終えて帰途の途中、ここに住み着き人形作りをはじめたという説と、京都の仏師が岩槻特産の桐細工のオガクズを利用し、人形の頭を作ったのが起源であるという説があるそうです。その名に恥じず、大通りを歩いていると人形店を何軒も見かけました。
c0051620_8261317.jpg

 駅から十数分歩くと、日光街道ぞいに岩槻郷土資料館がありました。アール・デコ調ですが装飾が少なくぶっきらぼうな印象を受ける建物ですが、解説によると1930(昭和5)年に竣工された岩槻警察署庁舎を利用したものだそうです。なるほどね、警察だけあって、あまり派手な装飾を施すことに躊躇したのかもしれません。受付で観光地図をもらい、内部をしばし見学。農具や学校用品など展示自体は凡百なものですが、往時の部屋配置図のところで足が止まりました。調室、留置室…
c0051620_8263622.jpg

 該当する部屋は今では何の変哲もない展示室になっていますが、かつてここで特別高等警察による凄まじい拷問が行われていたのかと想像すると冷水をあびせられた気持ちになります。小林多喜二の小説「一九二八・三・一五」(※共産党への大弾圧が行われた日付)にこんな記述がありました。
 渡は裸にされると、いきなりものも言わないで、後ろから竹刀でたたきつけられた。力いっぱいになぐりつけるので、竹刀がビュ、ビュッとうなって、そのたびに先がしのり返った。…それが三十分も続いた… 今度のにはこたえた。それは畳屋の使う太い針をからだに刺す。…両手の手のひらを上に向けてテーブルの上に置かせ、力いっぱいそこへ鉛筆をつきたてた。…首を締められて気絶する。すぐ息をふき返させ、一分も時間を置かずにまた窒息させ、息をふきかえさせ、また…。それを八回続けた。竜吉は…逆さにつるし上げられた。それから…床に頭をどしんどしんと打ちつけた。
 小林多喜二自身も特高による拷問で落命することになります。なお日本国憲法において「絶対に」というきわめて強い表現をともなった条項は一つしかないそうです。それは第三十六条で「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」というもの、間違いなく特別高等警察のことを念頭においたものでしょう。それはさておき、私の経験では戦前の警察署庁舎はほとんど保存されていないと思います。これは貴重な物件ですね。

 本日の三枚です。下の二枚は韓国の独立記念館で展示されていたジオラマで、日本統治下において日本の憲兵警察が行った拷問を再現したものです。特高による拷問を想像するための参考になるでしょう。異分子と異民族を人間として扱わなかったわれらが“大日本帝国”…
c0051620_827018.jpg

c0051620_8271654.jpg

c0051620_8273357.jpg

by sabasaba13 | 2009-02-21 08:28 | 関東 | Comments(1)
Commented at 2010-04-28 11:26 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
<< 長瀞・寄居・小川・岩槻編(14... 長瀞・寄居・小川・岩槻編(12... >>