アイルランド編(3):歴史(08.8)

 独立のためのターニング・ポイントとなったのがイースター蜂起です。1916 年のイースターにダブリンで武装蜂起が起こり、共和国樹立が宣言されましたが、市民の支持が得られず、イギリス軍によってすぐに鎮圧されてしまいます。しかし蜂起の指導者たちが処刑されると、反英の気運が高まり、 1919 年には独立戦争が始まります。2年半続いた独立戦争を経て、ついにアイルランドに自治が認められ、1922年にアイルランド自由国が成立しましたが、プロテスタントが人口の過半数を占めていた北部の6県はイギリス連合王国にとどまることを望み、南北は分離。この分離によって内戦が勃発(1922~23年)、これがいわゆる「北アイルランド問題」の発端となったわけです。第二次世界大戦後の1949年には英連邦を離脱してアイルランド共和国となり、正式に独立を果たしました。
 アイルランドは1973年にEC(ヨーロッパ共同体)に加盟しますが、1970~80年代は深刻な不況に陥りました。しかしEU(ヨーロッパ連合)の財政援助や海外からの投資などによって90 年代半ばから経済が急成長し、「ケルティック・タイガー」と呼ばれる好景気となります。また「北アイルランド問題」も、IRAの武装解除、和平合意「聖金曜日協定」の調印(1998)により、和平への糸口が見えてきている状況です。なお先日のTVニュースで見たのですが、北アイルランドでは直接の武力衝突や"テロ"は減ったものの、カトリック住民とプロテスタント住民は互いを隔離した状態で暮らしており、真の和解と融合にはまだ時間がかかりそうです。
 そして昨年の六月にリスボン条約に反対し、EUの将来に対して大きな波紋を投げかけたのがアイルランドです。リスボン条約とは、EUの首脳会議が、未発効に終わったEU憲法に代えて新たに採択した基本条約で、EU大統領の創設や政策決定を迅速化する多数決制度などをもりこみ欧州統合を新たな段階に進めるものです。EU憲法が05年にフランスとオランダが国民投票で否決されたため、憲法の呼び名やEU国旗、国歌に相当する条項を捨て、"欧州連邦"の色彩を薄めることでようやく合意に至った経緯があります。発効にはすべての加盟国の批准が必要で、国民投票の否決にこりた多くの国では議会で批准を目指していましたが、アイルランドは国内規定により国民投票を行い、その結果アイルランド国民は"NO"をつきつけたわけです。その理由については、EUのエリート官僚による支配強化、その結果としてアイルランドのような小国の意思の軽視、あるいはアイデンティティや独自性の喪失、そうした事態への不満や不安があげられるのでしょうか。地域統合という壮大な試みが今後どうなるのか、しばらく目が離せません。

 うむむむむ、北海道の面積より少し大きいこの島で、これほどの辛酸に満ちた過酷な歴史が織り成されてきたのかと思うと言葉もありません。ホセ・オルテガ・イ・ガセット曰く「人間は、すべての財を背に負う放浪者のように、あらゆる経験を背負ってゆくのである。…ようするに、人間は本性を持たない。人間が持つものは…歴史である」 こうした歴史が今のアイルランドの人々にどのような陰影を刻したのか、またその経験をどう背負っているのか、ぜひ見て聞いて感じてきたいと思います。ただ先入観・思い込みだと言われればそれまでですが、アイルランド気質を一言で表すと「不撓不屈」ではないでしょうか。実は、日韓共催のワールド・カップで見たアイルランドの決して諦めない戦いぶりに感銘を受けまして、通信販売で購入したアイルランド・チームのTシャツの後ろに漢字で書かれていたのがこの言葉でした。もちろん、このTシャツは持参することにします。それでは、アイルランド旅行を決意させる一つの理由となった丸山薫の詩「汽車に乗って」を口ずさみながら旅立ちましょう。
あいるらんどのような田舎へ行こう
ひとびとが祭の日傘をくるくるまわし
日が照りながら雨のふる
あいるらんどのような田舎へ行こう
車窓に映った自分の顔を道づれにして
湖水をわたり 隧道をくぐり
珍しい顔の少女や牛の歩いている
あいるらんどのような田舎へ行こう
 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-03-01 07:56 | 海外 | Comments(0)
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