アイルランド編(26):中央郵便局(08.8)

 そうこうしているうちに、バスはオコンネル橋の南側で停車、ここで解散となります。それではもう少し町歩きをすることにしましょう。橋を渡るとオコンネル像のすぐ西側に、サッカー用品を売っている店がありました。別にサッカーにとりたてて興味をもっているわけではありませんが、訪れた国や都市のチームのユニフォームを買ってしまう変な癖があります。これまでもアムステルダム、ミュンヘン、ポルトで購入したのですが、緑色のアイルランド・ナショナルチームのユニフォームを見つけ無性に欲しくなり、購入。
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 そのすぐ先で、またレオポルド・ブルームのプレートを発見しました。
"Pineapple rock, lemon platt, butter scotch… among the worm fumes of Graham Lemon's,"
「パイナップル味の棒飴、レモン入りキャンディ、バタースコッチ。…グレアム・レモン菓子店の暖かい甘い匂いのなかで…」(Ⅰ8「ライストリュゴネス族」 p.367)
 その直後にブルームは福音伝道者がアメリカからやってくるというチラシをYMCAの青年から受け取りますが、すぐに丸めてオコンネル橋からカモメめがけて投げつけ捨ててしまいます。かつてここに菓子店があったようですが、今ではFoot Lockerになっていました。
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 中央郵便局の手前の道を西に曲がると、これも「ユリシーズ」に登場したオーヴァル酒場があります。ブルームとならぶもう一人の主人公スティーヴ・ディーダラスの父、サイモン・ディーダラスたちが飲みにいった酒場ですね。
「―どうした? とマイルズ・クローフォードがびくりとして言った。あの二人はどこへ行った? ―誰が? 教授が振り向いて言った。あの二人はオーヴァルへ飲みに行ったよ」(Ⅰ7「アイオロス」 p.319)
 ふたたびオコンネル通りに戻るとすぐそこが中央郵便局(General Post Office)、アイルランドの独立を語る上で欠かせない建物です。
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 第一次世界大戦の勃発(1914)にともないイギリスの監視が手薄になることから、アイルランド共和国同盟(IRB)は好機をとらえてアイルランドで武装蜂起することを1914年8月に決議しました。そしてパトリック・ピアースやジョセフ・プランケット、イギリス外交官だったサー・ロジャー・ケースメントが中心となり、アイルランド市民軍を率いるジェームズ・コノリーが指揮官となって計画が進められることになります。1916年4月はじめにピアースはアイルランド義勇軍のメンバーに向けて「イースターの日曜日から3日間パレードと演習を行なう」と新聞で通達、これは蜂起の決行の合図でした。しかし事前に計画はイギリスに洩れ、さらに武器の調達にも失敗、もはや蜂起の成功は絶望的でしたが、ピアースやコノリーは、アイルランドの人々の独立に対する意識を目覚めさせるためにはもはや血の犠牲が必要と考え、予定より1日遅れた4月24日イースターマンデーに、ずっと少ない兵力(義勇軍1000、市民軍250)であえて蜂起を決行しました。午前11時にアイルランド義勇軍と市民軍が市内数カ所に集合し正午までに中央郵便局、フォー・コーツ、王立医科大学など要所にある建物を占拠し、本部となった中央郵便局の玄関ポーチの階段から、トム・クラーク、ジェームス・コノリー、ショーン・マクダーモット、ジョセフ・プランケットと共にピアースが臨時大統領として『アイルランド共和国宣言』を読みあげました。これに対してイギリスは本国から援軍を求め、ダブリン城の守りを固めます。アイルランド軍は最初こそ優勢であったが、イギリス軍の援軍は序々に数を増し、28日金曜日には反乱軍1600人に対して英国軍はおよそ2万人、大砲によって中央郵便局だけでなくオコンネル通りの建物はことごとく破壊されてしまいます。4月29日の朝、中心メンバーは一旦ムーア通りに逃れましたが、一般市民の犠牲があまりにも大きく、ピアースは同日午後、無条件降伏を受け入れることになります。3000人以上の死傷者を出し、200軒以上の建物を壊し、アイルランド軍の指導者達は蜂起の無謀さを批難され、群衆のやじの中連行されました。しかし、ダブリンの人々の意識を変えたのは蜂起そのものではなく、その後の英国政府の対応でした。ピアース、コノリーを含む反乱のリーダー15人をキルメイナム刑務所やダブリン城で処刑したことは英国への反感をいっきに高め、アイルランド人の愛国心をよびおこして英国の支配を廃止しようとする気運となり、そしてこの運動は遂に1921年にアイルランド自由国の設立と1949年の共和国設立につながっていくことになりました。
 なおこの時の激しい砲撃で中央郵便局の建物は破壊され、最後に火が放たれて正面部分を残して完全に焼き尽くされてしまいました。(修復のすえ1929年より営業を再開) 内部にはイースター蜂起の記念像「死せるク・フリン像」が展示されていました。また正面の列柱にはこの時の弾痕が残っています。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-04-12 09:28 | 海外 | Comments(0)
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