さてそれでは不動前駅へと戻りますか。途中にあったのが成就院、別名蛸薬師。慈覚大師が海に投じた薬師像が蛸に乗り漂着した故事に由来するそうです。こちらの絵馬ならぬ絵蛸は、蛸の絵に「ありがたや福をすいよせるたこ(多幸)薬師」と書かれたユニークなもの。「珍珍歩歩が盛りあがっちゃえ!!!」というぶっとんだ一品がありました。
不動駅から東急目黒線に乗って大岡山駅で大井町線に乗り換え、さらに旗の台で池上線に乗り換えて洗足池駅で下車。道路を渡ってすぐ目の前にあるのが洗足池です。武蔵野台地の末端の湧水をせきとめた池で、灌漑用水としても利用されたそうです。江戸時代には、歌川広重の「名所江戸百景」に描かれるなど、江戸近郊における景勝地としても知られていました。池の東側には、勝海舟の別邸(洗足軒)跡という説明板があります。官軍参謀の西郷隆盛と会談するために池上本門寺に向った海舟がたまたまここを通り過ぎ、その自然の美しさに感嘆して、後に別邸をつくり晴耕雨読の晩年を過ごしたとのことです。
その前が御松庵という日蓮宗のお寺さん、門ごしに見やるエントランスは竹林、萱塀、石畳、白い塗り塀が落ち着いた瀟洒な雰囲気をかもしだしています。中に入ると日蓮袈裟掛けの松があり、そして洗足池を間近に見ることができました。
門から出て左に少し歩くと、勝海舟夫妻の墓、および海舟が隆盛を追慕して建てた西郷作の漢詩の碑と留魂祠があります。
それでは奉安殿を転用した朝日稲荷神社(長慶寺境内 大田区東雪谷5-8-10)へと向いましょう。洗足池駅わきのガードをくぐると、池から流れ出す小川ぞいに遊歩道が整備されており、持参した地図によると延々とこの道ぞいを歩けばよいはずです。途中で戦前のものらしき洋館+日本家屋折衷の住宅を発見。また鯉を放流してあるところもありました。カワニナ専用エリアがあるということは、蛍も生息しているのかな。
途中で遊歩道からはずれ、地図を頼りにうろうろ探していると大きな三叉路に面したあたりに長慶寺がありました。洗足池からここまで三十分弱といったところ。本堂の裏手の藪の中に、その奉安殿を転用した神社がありました。鉄筋コンクリート製で保存状態はあまりよくありません。社殿形式ですが、切妻屋根+平入りですが、屋根の後部が短くなっているのが特徴。なお解説等はありませんが、インターネットで調べたところ、池雪小学校にあったものだそうです。
さて、てくてくと大通りに沿って洗足池駅まで戻ると、ちょうど町内会のお祭の真っ最中。あまりやる気のなさそうな子供たちが、大人たちにせっつかれながら山車をひっぱっていました。その脇の線路沿いには満開のコスモスとひらひらと揺れ飛ぶアゲハチョウ。これで本日の徘徊は終了です。
本日の三枚です。