紀伊編(2):古市古墳群(08.9)

 あべの橋駅から近鉄南大阪線に乗ってまずめざすは富田林(とんだばやし)です。この路線には難読にして興味深い駅名が多々ありますね。「布忍」なんざあ普通読めません、どんな由来があるのだろう? すると車内アナウンスで「はじのさと、はじのさと」と放送されました。これは1332(元弘2)年、赤坂城を楠正成に奪還された紀州の湯浅成仏がその屈辱を子々孫々に伝えんと「恥の里」と名付け…というのはバイオレットレッドな嘘で、実は「土師の里」と書きます。土師(はじ)とは、埴輪や土師器製作に従事していた技術者集団ですね、おそらくこのあたりに集住して(させられて)いたのでしょう。次の道明寺駅でふとホームにある名所案内を車窓から読むと、「允恭陵」「仲津姫陵」などいやに古墳が多いことに気づきました。ふーん、次の駅は古市か、古市かふるい… ここで私のどどめ色の脳細胞はカシオミニ(¥12,800)のようにカチカチと目まぐるしく働き始めました。ポンッ! 古市古墳群だ! 超大型の前方後円墳、誉田(こんだ)山[※応神陵に比定]古墳を筆頭に、百舌鳥古墳群と並んで大型古墳が集中している地域でした。なるへそ、その埴輪づくりのために土師たちが集住させられたわけだ。となると市井のしょぼい一歴史学徒として素通りできませぬ、後は野となれ山となれ、貝塚・信達を場合によってカットする覚悟で訪れてみましょう。次の古市駅で下車し、掲示してあった駅周辺地図で誉田山古墳の位置を確認しました。感触としては歩いて二十分ほどでたどりつけそうです。駅のエスカレーターを降りようとして、みなさん右側に並んでいることに気づきました。そう、関東では急がない人は左側に並びます。この違いの分布を全国的に調査すると面白いかもしれません。すると駅員さんが、何か不測の事態が起きたのか、空いている左側を「すみません」と言いながら疾風のように駆け下りていきました。それを見た二人連れのおばさん、すかさず大声で「がんばってや!」。いやあ関西だなあ。
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 先ほど撮影した地図をデジカメのディスプレイで確認しながら十数分歩くと、通りの向こうに木々がこんもりと繁った小山が見えてきました。どうやら誉田山古墳(応神陵)に到着したようです。史跡として一部整備されつつあるようですが、まだまだ手つかずのところが大部分。少し荒れ果てた印象を受けます。途中にあった解説板によると全長約425m、高さ約36m、5世紀前半に築造された古市古墳群最大の前方後円墳で、くびれ部が太いため総容量は百舌鳥古墳群の大山古墳(仁徳天皇陵に比定)を凌ぎ第一位となるそうです。前方部の正面にまわると、垣根と鳥居が設置してあり、宮内庁の管轄であると注意書きがありました。天皇陵として比定されたことで、ここも考古学的調査は認められていないのでしょう。誰かが言っておられましたが、日本国内で発掘調査ができないのは、天皇陵と米軍基地だけだそうです。*の小さいこと言わずに、発掘調査を許可すればいいのにとつくづく思います。あまり依怙地になると、天皇家の歴史に都合の悪い発見を恐れての所行ではないかと邪推したくなりますよ。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-01 06:10 | 近畿 | Comments(0)
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