紀伊編(4):富田林へ(08.9)

 それでは駅へと戻りますか。羽曳野警察署の建物最上部に掲げられた「羽曳野けいさつ」という文字が、これまたただならぬ気配を発しています。その隣が羽曳野市役所、「交通安全宣言都市」「非核平和宣言都市」「人権擁護宣言都市」「青少年健全育成宣言都市」「健康宣言都市」と、こんなに景気よくすここんすここんと宣言しちゃってだいじょうぶかな、と老婆心ながら思います。途中にあったマンションのゴミ捨て場には「外部者は、ここにゴミを入れることを固く禁止する 発見しだい……」という貼り紙。六つの点で表現される余韻が、大阪だけにこちらの想像力を肥大化させます。実際に何をされるのか試してみたくなりますね、ワクワク。コンクリート詰めにされて大阪湾に沈められるといった尋常な報復ではないのでしょう。そして古市駅に到着、小腹がへったので駅前にあった「味一番」という店でたこ焼きをいただきました。ここから近鉄長野線に七分ほど乗ると富田林(とんだばやし)駅に到着です。
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 富田林は歴史的に言うと寺内町(じないまち)と呼ばれる町で、戦国時代の前半に浄土真宗(一向宗)の寺院を中心としてつくられ、信者の職人・商人・農民が集住・武装し、その周りに土塁や堀などの防衛施設が整えられたものです。阿弥陀仏への強い信仰心と固い団結により戦国大名の支配を拒否し、戦国大名の立入りを拒否し、自由な商売(楽市)を自治的に行っていました。摂津の石山本願寺がcontrol-towerで、戦国大名にとっては言わば不倶戴天の敵。織田信長の最強の敵は武田信玄でも上杉謙信でもなく、この寺内町を地域的な核とする一向一揆であったと考えます。信長がめざしたのは全国の武士(戦国大名+国人+地侍)を武力によって服従・結集させ、その力で天下に平和・秩序・安定をもたらすという「軍隊の論理」の貫徹、つまり日本という国を巨大な"軍隊"にしてしまうことでした。これに対して、一向一揆は全国を支配するような強大な武士権力を拒否し、信仰と商工業・農業で結びついた、寺内町を中心とする地域ごとの共和国をめざしていたのではないでしょうか。自由で対等な取引・商売をしていれば、必然的に平和はもたらされるという「市場の論理」により、日本という国を巨大な"市場"にしようとした。よって信長にとって妥協の余地はなく、彼は一向一揆を徹底的に殺戮・壊滅させることになるわけですね(根切り)。代表的な寺内町としては、摂津の石山、加賀の金沢、大和の今井、そして河内の富田林があげられます。寺内町が近くにあれば旅程に組み込むようにしており、これまでも今井や久宝寺といったところを訪れてきましたが、環濠跡が往時のままに残る一身田がもっとも見事でした。
 ここ富田林は、1555(弘治元)年頃に興正寺の証秀が土地を買得して御坊(真宗寺院)を建設、周辺の住民を呼び集めて寺内町として成立し、諸公事免除などの本願寺並みの特権を得たそうです。織豊期に御坊は権力を失い、以後在郷町として存続して現在に至ります。
by sabasaba13 | 2009-07-03 06:53 | 近畿 | Comments(0)
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