紀伊編(5):富田林(08.9)

 とるものもとりあえず、観光用の地図がほしいな。駅員さんに訊ねると、幸い駅舎内に観光案内所があるそうです。これは助かります、さっそく行ってみると…「休憩中」という札がかかり窓口は閉ざされていました。労働者が休むのは当然の権利、いたしかたないですね、でも観光客が持っていけるように資料を置いておいて欲しかったな。しょうがないので持参したガイドブックを頼りに、町の中心にあるらしい観光案内所に行ってみましょう。おっとその前に隣にあるバス停留所で、下赤坂の棚田に行くための「千早ロープウェイ前」行きバスの発車時刻を確認しておきましょう。駅前には戦前の物件らしき「楠氏遺跡里程標」という大きな記念碑が屹立していました。このあたりは南朝の忠臣・楠正成が挙兵したところなので、戦前においてはさぞや楠公詣でがさかんだったのでしょう。
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 さて駅前から車道を渡り、「本町通り」というゲートを抜けると落ち着いた雰囲気の街並みがはじまりました。数分歩くと「じないまち交流館」への道筋を示す道標を発見、すぐにたどりつくことができました。さっそく入館し(無料)、観光案内地図を所望、残念ながら貸し自転車はないとのことでした。こちらで小用をすまし、それでは散策をはじめましょう。いただいた地図によると東西約400m、南北約350mの中に碁盤の目状の往時の町割をほぼ完全に残しており、江戸後期に建てられた町家も数多く保存されています。まずは目抜き通りである城之門筋を南下しましょう。このあたりを数歩歩いただけで、もうこの町はただものではないというオーラを肌で感じます。白漆喰と黒板の壁、平瓦と丸瓦を交互に並べる本瓦葺きの屋根、時代時代の特徴を示す粋な虫籠(むしこ)窓、ていねいな細工の格子窓、そうした町家建築が驚くほどの密度で連なっていました。
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しかも凄いのは、そのほとんどが今も人が居住する現役の物件だということ、当然(例外もありますが)手入れもよく行き届いています。もちろん新しい家々もあるのですがだいたいが和風建築で、この見事な景観をぶち壊すような無国籍風物件は見当たりません。条例によるものか、自発的意思によるものかはわかりませんが、この街の風情をみんなで守ろうぜっという強固な思いと努力をひしひしと感じます。
 中核となる真宗寺院・興正寺別院は扉が閉ざされ残念ながら中には入れませんでした。しかし、通りに面してそびえたつ、立派な花頭窓が印象的な鐘楼(鼓楼?)など、往時の権勢を思わせる外観です。
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 城之門筋をつきあたったあたりは斜面となっており、藪の中を抜ける坂道があり、町の防禦区域であった雰囲気を感じさせてくれます。敵の侵入阻止や弓矢の材料となる竹が植えられていたのかもしれません。付近にはか細い流れがありましたが、環濠の名残もあるかどうかは不明です。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-04 20:48 | 近畿 | Comments(0)
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