紀伊編(6):富田林(08.9)

 ふたたび町中に戻り、あとは時間が許すかぎり縦横無尽に歩き回りましょう。強烈な忍び返し、三階建ての藏、穴のあいている馬つなぎの石、石製の防火用水などがすぐ見つかり、眼を楽しませてくれます。
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 なお焦げ目のついた板塀を時々見かけたのですが、後日、「建築史的モンダイ」(藤森照信 ちくま新書739)を読んでどうやらこれが「焼杉」という、西日本に特有の伝統技法らしいということが分かりました。
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 この街には珍しいクールな洋館は中央眼科医院、でも杉田医院は昔の建物のまま頑張っています。
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 豪壮な造りの旧杉山家は、「明星」「新詩社」で活躍した詩人・石上露子の生家ですね。その近くには「町中くわへきせるひなわ火無用」と刻まれた道標があります。
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 扉の脇にある「副町総代」というプレートには自治精神の残滓を感じます。しかしこんな落ち着いた町でもひったくりはあるようで、「きいつけや あんたのことやで そのバッグ」という富田林警察署のポスターが貼ってありました。
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 町の景観を守ろうとする努力は徹底しており、消火器ボックスはすべて緑色で塗られています。また水道・電気メーターをわざわざ木箱でおおっている例もありました。工事現場の仮設トイレを木の柵で囲っていたのには、こりゃまいった。
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 プライバシーを守るためか、塀に穴を開け外から電気等のメーターを見られるようにしているお宅もいくつか見かけました。京都ではよくお眼にかかります。中には格子の一画をメーター用に律儀に細工してある匠の技もありました。
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 というわけで古い町並み物件として王道を行く富田林、十二分に楽しめました。さてそろそろバスの発車時刻ですので、駅前へ戻りましょう。千早ロープウェイ前行きのバスに乗って、めざすは下赤坂の棚田です。平日は一時間に一本、土日は二本ほど走っているので、それほど不便ではありません。25分ほどで「千早赤坂中学校」というバス停に到着、帰りのバスを確認したところ約一時間後に来るようです。それまで棚田の散策を楽しむことにしましょう。バス停のすぐ目の前に道案内の標識があったので助かりました。緩やかな坂道を数分上ると千早赤坂中学校に到着、敷地内に入るとここにも標識があり、その指示通りに校舎の間を抜けると棚田が眼前に広がっています。経験則からいうと棚田に行くのはかなり苦労するのですが、ここはアクセスが容易です。棚田を展望できる小広場には「国史跡 赤坂城跡」という碑が立っていました。後醍醐天皇による元弘の変が発覚し、彼が笠置へ逃れた際に、楠正成がここで挙兵をしたとのことです。その後、幕府軍との間で落城、奪還、落城をくりかえし、千早城に籠城している間に鎌倉幕府は滅亡。なお城としての遺構ははっきりとしていないそうです。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-05 07:45 | 近畿 | Comments(0)
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