紀伊編(16):湯浅(08.9)

 そして町の北側一帯に広がるのが伝統的建造物群保存地区です。解説板によると、16世紀末ごろひらかれたといわれる北町・鍛冶町・中町・濱町には醤油醸造業関係の町家や土蔵が数多く残されているとのこと。さっそく歩き回ってみましょう。本瓦葺きの屋根、格子窓、虫籠窓、黒板塀、白漆喰の壁に彩られた古い町並みが、観光用の厚化粧もなく、自然な落ち着いた雰囲気で残っています。何かほっとしますね。江戸時代以来の製法を守る1841(天保12)年創業の角長で醤油を購入、重いので宅急便にしてもらいました。そしてすぐ近くにある1811(文化8)年創業の太田久助吟製で金山寺味噌を購入、こちらは軽いので持参することにしましょう。いずれも風格と古色にあふれた素晴らしい店構えです。
c0051620_893164.jpg

 そして角長の裏手にあるのが、醤油の積み下ろしでかつては賑わいをみせた山田川河口にもうけられた大仙堀です。往時の殷賑をうかがわせるよすがはありませんが、水面に映る白漆喰と黒い板壁がピクチャレスクです。
c0051620_8105571.jpg

 さて、四本の通りを軸に小路(しょうじ)と呼ばれるいくつもの細い道が走るこの界隈をもうしばらくを徘徊しますか。人ひとりがやっと通れる細い小路を抜けると、そこは古い町家が軒を並べる裏町、まるでこの町の胎内に入ったような気分です。「甚風呂」という古い銭湯がありましたが、残念ながら改修中のため外観はよく見えませんでした。でも保存するという方向らしいので一安心。
c0051620_81118100.jpg

 そして藏町通りを西の方へぶらぶらと散策。途中に「田辺製樽」と書かれた倉庫がありました。おそらく醤油樽の製造・販売業者なのでしょう。その先にあったのがお食事処「がけっぷち」… 嗚呼この町と恋に落ちてしまいそう。
c0051620_811414.jpg

 それでは駅方面へと戻りますか。途中の細い路地にあったのが「大地震津なみ心え之記碑」、1854(嘉永7)年に発生し死者28名という大被害を出した地震・津波の概要を記し、後人の戒めとしたものです。なおいわゆる安政の大地震は1855(安政2)年ですので、その予兆の地震かもしれません。碑の前に用意されていたパンフレットによると、最後は「萬一大地震ゆることあらハ火用心をいたし津波もよせ来へしと心えかならず濱邊川筋へ逃ゆかず深専寺門前を東へ通り天神山へ立のくべし」と結ばれています。寺田寅彦曰く「天災は忘れた頃にやってくる」、少しでも被害を減らすためにみんなで記憶を共有しようという志の高さ、感服いたしました。
c0051620_812093.jpg

 湯浅町役場はぼろぼろでまるで廃墟のようです。これも税金を無駄には使わないという志の高さを感じます。駅前には、船首に乗って扇を片手に前方を指差す威勢のいい若者の銅像「丈平の像」がありました。丈平は紀伊国屋文左衛門の幼名、荒海にみかん船を漕ぎ出す彼の勇姿を表現しているそうです。
c0051620_8122391.jpg

 さて列車の発車時刻までまだ少しあるので、駅の南西あたりをぶらついてみましょう。裏の路地に入ると、二階部分が張り出している長屋を発見。臼杵でも見かけましたが、珍しい物件ですね。商店街に出ると、異様に細長いドアを見かけました。ある化粧品店には「只今お客様に丹波黒豆のきな粉をさしあげて居ります」という貼り紙。
c0051620_8125082.jpg

 「赤のれん洋装店」「すなっく ぷうたろう」というネーミングにも湯浅の懐の深さを感じます。
c0051620_8131060.jpg

 なおこのあたりで喫茶店を数軒見かけました。私の持論では、暇のもてあまし度と喫茶店の数と人間的な暮らしは正比例します。このへんにも湯浅町民のゆるゆるとのんびりとした暮らしぶりがうかがわれます。
c0051620_8133288.jpg

 というわけで、伝統的な町家が多数残る王道としての町並みと、庶民の饒舌・世間アートといった面白おかしいディテールに満ち満ちた覇道としての町並みが、絶妙なバランスで同居している湯浅、蠱惑的な町でした。

 本日の七枚です。
c0051620_8135863.jpg

c0051620_8141687.jpg

c0051620_8143639.jpg

c0051620_814533.jpg

c0051620_8151111.jpg

c0051620_8153716.jpg

c0051620_816224.jpg

by sabasaba13 | 2009-07-20 08:16 | 近畿 | Comments(0)
<< 紀伊編(17):黒江(08.9) 紀伊編(15):湯浅(08.9) >>