紀伊編(24):根来寺(08.9)

 さて和歌山市駅に到着すると、ひだる神が臓腑の中で暴れまわっています。これはたまらん、と駅構内にある立ち食い蕎麦屋に駆け込んで、まあまあ美味しい月見うどんをいただきました。「饂飩を食べれば大過なし」、これは関西旅行の基本ですね、やれやれこれで落ち着いた。
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 JRに乗り換えて和歌山駅へ、ここで和歌山線に乗り換えて二十分ほどで岩出駅に到着です。ここから根来寺(ねごろじ)まで行くのに車で十分ほどかかりますが、バスの便はしばらくありません。しょうがない、タクシーを利用しましょう。市街地からじょじょに坂をのぼり、大門の巨躯を通り過ぎると山の懐に抱かれた根来寺に到着です。新義真言宗の総本山・根来寺の開基は、12世紀に高野山と袂を分けた覚鑁(かくばん)上人です。以後しだいに隆盛し、室町末期には坊舎80余、子院堂塔2700余棟を数えるに至り、領地70万石という大大名なみの勢力に発展しました。南北朝時代のころから自衛のために僧兵を蓄えるようになり、その勢力は根来寺衆とよばれる武力集団と化し、鉄砲を重要な戦力としました。しかし、その勢威を恐れた豊臣秀吉の根来攻め(1585)によって、全山ほぼ灰燼に帰してしまいます。江戸時代、紀伊藩主徳川頼宣の保護によってしだいに復興、現在に至ります。
 「寺社勢力の中世 -無縁・有縁・移民」(伊藤正敏 ちくま新書734)によると、最近の発掘調査の結果、根来寺境内全域が法体職人の集住する一大工業都市であることが明らかになったそうです。氏は、中世寺社勢力は宗教で説明するよりも経済体として考えるほうがずっと明快であり、国家から大きくはみ出した無縁の人々をまるごと受け止めて生産・流通から軍需産業まで含む中世の経済を担い支え牛耳ったと主張されています。その中核となったのが住宅街・商工業地を含みこんだ「境内都市」であり、これは都市国家に比肩できるとされています。この根来寺もその一典型なのですね。
 なお根来衆といえば鉄砲。これに関しては、「街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩」(朝日文庫)の中で司馬遼太郎がこう概括されています。種子島に渡来した鉄砲は、種子島時尭→島津義久→将軍・足利義晴→細川晴元と渡り、細川氏の要請を受けて京極氏が優れた鍛冶技術をもつ領内の国友村を将軍に紹介したところから、ここが鉄砲生産の拠点となりました。同じ頃に、根来寺の杉之坊津田監物が種子島家に逗留、時尭から一挺をもらい持ち帰り、根来寺の工人・芝辻清右衛門という鍛冶が製造に成功。根来寺が没落すると、芝辻家は堺に本拠を移し、鉄砲生産の拠点となったそうです。なるほどなるほど。
by sabasaba13 | 2009-08-04 08:18 | 近畿 | Comments(0)
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