紀伊編(26):粉河寺(08.9)

 何といっても寺宝の『粉河寺縁起』でその名を知られるお寺さんです。もとは天台宗ですが、現在は粉河観音宗。縁起によれば、770(宝亀1)年、観音の化身である童男(どうなん)行者が現れて刻した千手千眼観世音菩薩を、発願者の大伴孔子古(くじこ)が草庵を結んで安置したのが開創。鎌倉時代には七堂伽藍、550坊、寺領4万石を有し、数千人の僧徒がいて隆盛を極めましたが、やはり豊臣秀吉の紀州攻めによってその堂塔伽藍・寺宝のほとんどを焼失したそうです。二段の大屋根に唐破風・千鳥破風を配置した豪壮な本堂の前にあるのが、桃山時代の枯山水。とはいっても石組が残っているだけで、庭自体の面影はありません。境内には「ひとつぬきて うしろにおひぬ ころもかへ」という芭蕉の句碑がありました。たちか紀行文「笈の小文」所収の句ですね。今調べてみると、1687(貞享4)年の秋から翌年春ごろまでの旅で、旅程は江戸→郷里・伊賀上野→伊勢神宮→吉野の花見→高野山→和歌浦→奈良→大坂→須磨→明石です。ここ粉河寺にも立寄ったのでしょうか。思い立ったら吉日、調べてみましたが粉河寺に寄ったという記事はないようですね。和歌浦から奈良へ行く途中で詠んだ句ではあるようですが。
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 寺の前にある大神社のクスノキは、和歌山県下第三位というほれぼれするような巨木です。V字のように二つに分かれた幹を支える、武骨にして隆々とした根元の存在感には圧倒されました。寺から駅へと続く直線道路は「粉河とんまか通り」と名付けられていますが、いったい"とんまか"とは何ぞや? さっそく調べてみましたが、いやあインターネットというのは凄いですね、すぐわかりました。なんと、粉河祭の太鼓の音だそうです。とんまかとんまかとんまかとんまかとんまかとんまか… 機会があったらぜひ聞いてみたいものです。しかしその軽快なリズムとは裏腹に多くの商店のシャッターは閉じられ、寂寞とした雰囲気を漂わせています。時刻は午後四時ちょっと前なので店じまいをするには早すぎ、日曜日は休業するのかはたまたつぶれてしまったのか。「気にするこたあねえよ」と豪快に笑い飛ばすような表情の建物が一軒ありましたが、その店のシャッターも閉じられていました。「蕭条としてとんまか通りの夕日かな」…蕪村さん御免なさいもう二度と言いません。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-06 06:27 | 近畿 | Comments(0)
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