肥前・筑前編(2):長崎(08.10)

 ここからしばらくは観光用に掲示されている地図を頼りに、高台の散策です。まずは良林亭跡、1863(文久3)年に草野丈吉が開いたレストランの跡地で、日本における西洋料理専門店の先駆けだそうです。その先にはまるで民家のような「亀山社中資料展示場」がありましたが、閉館中。
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 若山稲荷神社には方形の柱でつくられた珍しい鳥居がありました。亀山焼窯跡の碑を通り過ぎすこし歩くと眺望が良いという風頭公園に到着です。
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 こちらには腕を組みながら中空を凝視する「坂本竜馬之像」、司馬遼太郎の文学碑があります。碑文は「竜馬がゆく」の一節。
 船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎はわしの希望じゃ」と、陸奥陽之助にいった。「やがては日本回天の足場になる」ともいった。
 陸奥陽之助は後の陸奥宗光ですね。
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 その先は展望台になっており、長崎市外と港、稲佐山を手に取るように一望できる絶好のビュー・ポイントでした。
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 さてここから坂をおりて崇福寺へと向かいますか。途中にあったのは上野(彦馬)家墓地。上野彦馬(1838‐1904)、幕末から明治にかけて活躍した長崎出身の写真師、下岡蓮杖(れんじょう)とならび日本における写真術の草分け的存在です。オランダ医官ポンペの医学伝習所に入門して舎密(せいみ)学(化学)を学び、写真研究を始め、カメラ・レンズ・薬品を苦心のすえすべて自製し、62(文久2)年に長崎において「上野撮影局」を開設しました。日本最古の銀板写真と推測されている島津斉彬の写真、および龍馬の肖像を撮影した人物として著名です。龍馬の写真は、彼が亀山社中で活躍していたときのものなのでしょうか。そういえば、以前長崎を訪れたときに、眼鏡橋の隣にある袋橋のたもとに「上野彦馬生誕地」という記念碑がありました。
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 そのすぐ近くには唐通事であった林・官梅家墓地がありました。福建省から来日した中国人の子息・林道栄とその子孫たちの墓所で、代々中国人との通訳を務めた家系ですね。その隣には阿蘭陀通詞加福家の墓地がありますが、こちらはオランダ語通訳を代々継承した家柄ですね。ん? 解説板によると「通事」と「通詞」を使い分けておりますが、何か違いがあるのでしょうか。いずれにしても異文化交流の架け橋となった先人諸氏に敬意を表して、五輪塔様式の墓石群に合掌。
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 その先にあるのが「長崎紙鳶(はた)資料館」、長崎では凧のことを紙鳶(はた)と呼ぶのですね。ここから斜面一帯にひろがる墓地を抜けて下までおりることにしましょう。時々中国風の門がしつらえてある墓を見かけますが、中国文化の影響をこんなところでも知ることができます。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-13 08:01 | 九州 | Comments(0)
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