それではそのザビエル記念教会に行ってみましょう。フランシスコ・ザビエルを記念して1931(昭和6)年に建てられたのでそれほど古いものではありませんが、周囲の景観にすっかりなじんでいます。その前にはザビエル像と「平戸殉教者顕彰慰霊之碑」がありました。
そして坂道をくだり、ふたたび街の方へ歩いていきましょう。その途中で、今まさにスペシウム光線を発射しようとしている才槌頭の小学生をシルエットにした、なんともシュール・リアリスティックな「飛び出し小僧」を発見。君はいったい何者なのだ? この坂道の海側にある丈の低い塀上部の断面が三角形なのが眼に留まりました。もしや猫を歩かせないという邪悪な試み…なんてことはないですよね。そうだと言ってよ、ジョー!
その先には「水滌」と刻まれた古ぼけた石造りの貯水槽がありましたが、おそらく戦前の物件でしょう。 "滌水"=洗いそそぐための水ですから、防火用水ではなく、炊事などで使用した場なのでしょうか。近くには砲弾型の消火栓、これもかなり古そうなだなあ。
そして六角形の石柵で囲われている六角井戸に到着。六角形という形は、数人が同時に水を汲み上げられるようにするためだとか。明の海商・海賊である王直が1542(天文11)年、松浦隆信の優遇を得てここ平戸に居を構えて貿易を行い、多くの明商人が定住したそうですが、その名残ではないかと推測されています。なお彼が交易のために乗っていたジャンク船が
種子島に漂着し、その際に同乗していたポルトガル人が鉄砲を伝えたという説もあります。ここで水を汲んで船に積み込み、寧波・マラッカ・アユタヤへと船出をしていった海に生きる人々の姿を思い浮かべると胸がわくわくしてきます。
その先にあるのが、重厚な石垣と石段が印象的な松浦史料博物館、もとは松浦家の本邸だったそうです。その前にあるお土産屋さんの暖簾には「
ポルトガル直伝 カスドース」と書かれていました。ガイドブックによると平戸に渡来した神父たちから伝えられた南蛮菓子で、カステラに卵黄の衣をつけて蜜で揚げたものだそうです。甘そうだなあ。
そして街並みをぷらぷら歩いていると、「油屋」という看板を掲げた由緒ありげな商家や、木造三階建てのお宅を見かけました。
「猛犬注意 かみます」と決然と断言する貼紙があったので、そそくさとそこは立ち去りました。そして漆喰で塗り固められたオランダ塀を拝見。かつてここにオランダ商館が置かれたそうですが(1609~1641)、その貴重な遺構です。商館員用の井戸(オランダ井戸)も当時のまま残されていました。海に面した魚屋さんでは、おかみさんが飛魚(あご)を天日で干しています。このだしを使った五島うどんをいつか食べてみたいな。
もっと鵜の目鷹の目でじっくりと歩き回れば、まだまだ面白いものが見つかりそうな街ですが、そろそろ出発しましょう。めざすは今夜の塒、嬉野温泉です。東行していくと伊万里の手前で、廃墟の王者・
川南造船所と再会することができました。見たことないと言う友人を連れて、さっそく立ち寄ってみましょう。繁茂しまくる緑に阻まれて相変わらず近づくことはできませんが、その威厳と存在感に彼も圧倒されたようです。そして二時間ほどで嬉野温泉に到着、今夜の宿、和多屋別荘にチェックインしました。二人とも温泉にはさほど執着心をもっていないので、軽く浸かって汗を流し、夕食をいただきました。豆腐がおいしかったなあ。そして売店で地酒を買って、明日の作戦会議を開きながら一献傾けました。
本日の一枚です。