第五福竜丸展示館編(1):(09.8)

 オバマ大統領によるプラハ演説以来、核兵器廃絶への動きが活発になってきました。その底意については慎重に見極めないといけませんが、何はともあれ喜ばしいことです。となると、日本における原水爆禁止運動の原点となった第五福竜丸に報告せねばなりません。ご存知の方も多いでしょうが、スクラップにされる直前に市民運動によって救出され、東京夢の島に保存・展示されています。十数年ほど前に一度訪れたことがあるのですが、これを機会に再訪しました。場所は、東京JR京葉線・地下鉄有楽町線の新木場駅から、歩いて十分ほどのところにある夢の島公園です。全体が切妻型をした異形の建物が、えもいわれぬ存在感をもって佇んでいます。
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 開館時間 は9時30分~16時で月曜休館(月曜が祝日のときは開館し火曜休館)。入場は無料、この措置には東京都の見識を感じます。なお釈迦に説法ですが、第五福竜丸事件について、スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 1954年(昭和29)3月1日、南太平洋ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、同環礁東方160キロの海上で操業中の日本のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件。同船は3月14日静岡県焼津に帰港したが、乗組員23名が「急性放射能症」と診断され、東大病院と国立第一病院に入院、治療を受けた(9月23日には無線長久保山愛吉が死亡)。同船が積んできたマグロからは強い放射能が検出され、5月には日本各地に放射能雨が降り始めた。この事件は国民に強い衝撃を与え、核兵器禁止の世論が急速に盛り上がり、翌55年8月、広島での第1回原水爆禁止世界大会開催へとつながっていく。第五福竜丸は67年廃船処分となって東京の夢の島に捨てられていたが、粘り強い運動の結果、76年6月同地に都立の展示館が完成、保存されている。
 入館すると、「静岡県焼津港 第五福龍丸」と記された船体後部が眼前に迫ってきます。そして館の中央には、その巨躯を安らかに横たわらせて第五福竜丸が眠っていました。その周囲を一周して、さらに脇に設置された階段をのぼると甲板部分を見ることもできます。
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 そして船を取り囲むように、さまざまな解説や展示がありました。事件の経過を説明するパネル展示、さらには第五福竜丸が浴びた「死の灰」、航海日誌、大漁旗、原水爆禁止を求める署名用紙などが展示されています。
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 また廃船となり夢の島で朽ち果てつつあったこの船を保存しようとする運動が一つの投書からはじまり、やがて大きな市民運動へと発展していったようすもよくわかりました。刮目すべきは、この水爆実験でもっとも甚大な被害を受けたマーシャル諸島の人々についてかなり詳しくふれていたことと、核実験の放射能によって健康を害された世界中の人々をすべて「ヒバクシャ」と捉える視点です。そうした方々のポートレートが掲げられ、「旧ソ連では、セミパラチンスク核実験場、ノバヤ・ゼムリャ島などでの実験で、兵士、周辺住民120万人以上が被災したと推定される」「アメリカのネバダ核実験場風下の住民、先住民、実験参加の兵士、作業員、技師など50~60万人が被害をうけた」「世界各地の核実験場の周辺住民については、その詳細は公表されておらず不明な点が多い」というコメントが添えられています。そして関連図書や資料を販売するコーナーもあったので、「水爆の島 マーシャルの子どもたち」(島田興生 福音館書店)を購入しました。募金箱があったので寸志を寄付すると、「PIKADON NO/YES」と書かれた黒田征太郎氏の小さなイラストをもらえます。ふと隣を見ると、ここを訪れた子どもたちが思い思いのことをこのイラストの裏に描いて壁に貼り付けています。そしてたくさんの千羽鶴も。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-27 06:22 | 東京 | Comments(0)
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