言葉の花綵12

 魂の凡庸さを自己に委ねない人にとって、生活は日毎の苦痛である。(ロマン・ロラン)

 金融屋が余裕を失ったらおしまいやで。

 この日本という国は枝の人間が禁止事項に触れただけで組織全体が違法と見られる国や。だからもし下の者がヘタうったら上のアンタまで責任とらされるゆうわけやろ。(『ナニワ金融道』)

 一般にすぐれた教師は生徒の欠点には目をつぶり、長所だけをのばすという。しかし、コルトーはその上をいく。欠点に目をつぶればそのまま残る。名教師コルトーは欠点を長所に変えてしまうのだそうな。(宇野功芳)

 商売というのは、刑務所の門まで行く。行くけれども中には入らない。そういうやり方なんだ。中に入ってしまっては、元も子もなくなってしまう。しかし、刑務所に近づかないようでもダメなんだ。(堤康次郎)

 あきらめたら、そこで試合終了ですよ。(『スラムダンク』 安西監督)

 オ-ウェルがわれわれに遺したものは「真の人間らしさ」(DECENCY)とは何かという問いである。ナショナリズムと全体主義を憎み、インチキを排して、誠実を重んじ、普通の人の普通の言葉で、明澄に書くことを願い、一杯のおいしい紅茶の悦びを讃えた。全世界的な規模で政治的道義の低下が進みつつあるとき、何にもまして歪められるのは、われわれの歴史と言葉であると叫びつづけたこの「暖かい心をもって怒っている」オ-ウェルこそは、以前にもまして今日われわれのもっとも必要とする作家である。(オ-ウェル小説コレクション[晶文社]解説より)

 自由とは、人の聞きたがらないことを言う権利である。(G.オーウェル)

陽気に笑いさざめきながら老いさらぼうて皴をつけ、
酒びたしで肝臓をほてらせるがいい。
そのほうが苦しい溜息ついて、
その一息ごとに心臓を凍らせるより、よほどましだ。
熱い血のかよった人間が、石膏細工の爺様よろしく、
どうしてじっとしていなければならないのだ? (W.シェークスピア)

 より少なく働いて、よりよく生きよう。(ヨ-ロッパでの労働者の合言葉)

 おもしろきこともなき世をおもしろく (高杉晋作)
 住みなすものは心なりけり (野村望東尼)
 
 誰彼もあらず一天自尊の秋 (飯田蛇笏)

 Bid me discourse,I will enchant thine ear. (シェークスピア)

 心頭を滅却すれば火もおのずから涼し (快川紹喜)

 高品質の製品が、《過剰品質》として嫌われる時代なのである。人間の生活に確かさをもたらす《物》を作れない社会、使えない社会は、やはりそのありようが問われねばなるまい。(森清)
by sabasaba13 | 2009-09-17 06:08 | 言葉の花綵 | Comments(0)
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