「放浪記」

 「放浪記」(林芙美子 新潮文庫)読了。「著名だが未読の小説に挑戦」シリーズです。作家の林芙美子が、第一次大戦後の不景気な時勢の中で、日記ふうに書きとめた雑記帳をもとにまとめた自叙伝です。あらためてこの時代に、何の後ろ盾もない女性が自立していくのが困難なことなのか思い知らされました。著者は銭湯の下足番、帯封の宛名書き、女中、カフェーの女給などをしながら、小説・詩・童話を書き続けますが、極貧の生活と未来への展望がないことにしばしば挫け絶望し打ち伏されます。その困窮のリアルな描写には圧倒されてしまいました。
 急に体じゅうがふるえて来る。どうして生きていいのか腹が立って来る。声をたてて泣きたくなる。(p.400)

 硝子戸を閉ざして、また七輪のそばに坐る。坐ってみたところで、寒いのだけれども、横になる気もしない。何か書いてみようと、机にむいてみるのだけれども膝小僧が破れるように寒くてどうにもならない。少し書きかけてやめる。かんぴょうでもいいから食べたい。(p.439)

 みんな本当の、はらわたをつかみ出しそうな事を書いているのに一銭にもならない。どんな事を書けば金になるのだッ。(p.450)
 そうした困難な状況にもかかわらず、生きることへの希望を失わず、本を読み、小説を書きつづける彼女の姿には感銘を受けました。どんなにひどい暮らしの中でも、自分を見失うまいという強固にして不屈の意志が彼女を支えていたのかもしれません。
 「こんなに私はまだまだ青春があるのです。情熱があるんですよお月さん!」 両手を上げて何か抱き締めてみたい侘しさ、私は月に光った自分の裸の肩をこの時程美しく感じた事はない。壁に凭れると男の匂いがする。ズシンと体をぶっつけながら、何か口惜しさで、体中の血が鳴るように聞える。だが呆然と眼を開くと、血の鳴る音がすっと消えてお隣でやっている蓄音機のマズルカの、ピチカットの沢山はいった嵐の音が美しく流れてくる。大陸的なそのヴァイオリンの音を聞いていると、明日のない自分ながら、生きなくては嘘だという気持ちが湧いて来るのだった。(p.202)

 書く、ただそれだけ。捨身で書くのだ。(p.418)
 この時期は、日本が侵略と軍国主義へと雪崩を打って突き進んでいく、時代の大きな転換点です。彼女はふと「ただ自分を見失ってゆくくんれんを受けるだけ(p.410)」ともらしますが、貧困の中で自らを見失っていく市井の人びとの姿も活写されています。そうした人びとがやがて戦争と侵略を支持していく予兆も描かれているような気がします。ある指のない淫売婦がこう言っていましたが、さてわれわれはこの不況の中で物事を冷静に見つめ己を見失わずにいることができるのでしょうか。
 戦争でも始まるとよかな (p.17)

by sabasaba13 | 2009-10-04 06:55 | | Comments(0)
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