近江錦秋編(15):三井寺(08.11)

 それでは三井寺(園城寺)に行きますか。言わずと知れた天台寺門宗の総本山ですね。7世紀末に大友村主氏の氏寺として創建され、その後、円珍が再興します。993(正暦4)、円仁門徒と対立して比叡山から下山した円珍門徒1000余人が拠り、その最大拠点として山門と対抗、以後比叡山延暦寺との激しい争闘が繰り広げられました。教義上の問題というよりも利権がらみの対立ではないかと愚考します。院政・鎌倉期を通して天台座主補任や園城寺戒壇の別立を巡って、山門の焼打ちを受けること7度、戦禍を受けることも度々でしたが、その度に復興。不動明王画像(黄不動)や円珍関係の文書・典籍など多くの寺宝を伝えるということです。
 まずは金堂のとなりにある鐘楼へ、近江八景「三井の晩鐘」として有名な鐘ですね。ちなみに三井の晩鐘、粟津の晴嵐、瀬田の夕照、石山の秋月、矢橋の帰帆、唐崎の夜雨、堅田の落雁、比良の暮雪が近江八景です。1602(慶長7)年、豊臣家による三井寺復興の一環として鋳造され、音色のよいことで知られているそうです。古来、形の平等院、銘の神護寺ともに「音の三井寺」として日本三銘鐘のひとつにも数えられているそうな。
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 となると、ぜひその音色を聞いてみたいですね、でもまさか撞かせてはくれないだろうなあ、と思いつつ鐘楼に近づくと300円払うと一回撞かせてくれるという貼り紙がありました。鳴り物が大好きな山ノ神の目が怪しく輝きます。うんうんいーよいーよ、近くにある売店でお代を支払い、戸を開けて鐘楼の中に入りました。さ、どうぞ。舌なめずりをしながら縄を握り撞木をじょじょに大きく揺らす山ノ神、そして渾身の一撃… しかし力を入れるタイミングがすこしずれたようで、この世のものとは思えないしょぼい音が… こーん 振り返った彼女の、ジャンプで失敗して一回転しかできなかった浅田真央のような(見たことないけど)情けなさそうな顔は忘れられません。「たぶんお店の方には聞こえなかったから、もう一度撞いちゃえば」と悪魔のように囁くと、正義感の強い彼女は「…やめとく」とぽつり。「300円払ってもう一度撞けば」と天使のように囁くと、節約家の彼女は「…やめとく」とぽつり。すごすごと撤退することにしました。われわれの後を継いだ方が撞いてくれたので、その音色は聞くことができましたけれど。
 そして弁慶の引き摺り鐘、一切経蔵を見物、しかし肝心の紅葉は期待はずれ。
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 ところどころに色づいた楓があるのですが、それほど多くはありません。空腹に耐え切れず名物「弁慶力餅」を食して、小高いところにある観音堂へ。となりにある小さなお堂には「盡忠報国」という兵士の名が並べられた絵馬が掲げられていましたが、よく見ると「念紀征出亜利伯西」とあります。西伯利亜はシベリア、時は大正7年つまり1918年、てことはシベリア出兵だ! ロシア革命後の東部シベリア方面に対する武力干渉ですね、これはレアな物件だ。
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 さらに展望所にのぼると、そこからは三井寺・大津の街並み・琵琶湖を一望できる絶好のビュー・ポイントでした。なおこちらには「滋賀県警察官忠魂碑」と「大津そろばん」の碑があります。
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 後者が気になったのでインターネットで調べたところ、大津そろばんは「そろばんと言えば大津、大津と言えばそろばん」と全国に名を馳せたそうです。慶長17 (1612)年、大津近くの追分町の住人片岡庄兵衛が、時の長崎奉行長谷川左衛藤広に随行して長崎におもむき、中国人から、そろばんの見本と使用方法を授かって帰郷したそうです。庄兵衛は工夫研究を重ね、中国式そろばんの大きさ、組み方、珠の形状などを日本人に適するように改良し、大津そろばんを完成させました。庄兵衛は幕府より「御本丸勘定所御用調進」を命ぜられ、そろばん製造の家元となり、そろばん業者の取締役を担うことになります。また、業者の製品を査定し、等級・販売価格を決定し、烙印をして販売させるという特権が認められ、以来明治の初めまで約三百年「大津そろばん」の名声は全国的に広められたとのことです。なるほどねえ、ただ気づかないだけで、どんなものにも歴史があるのですね。勉強になりました。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-10-18 07:56 | 近畿 | Comments(0)
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