近江錦秋編(18):賤ヶ岳古戦場(08.11)

 途中、木ノ本を通り過ぎましたが、北国街道の宿場の面影を残すなかなか味わい深い町並みでした。そういえばこの湖北には十一面観音像の優品が多いとも聞きましたので、いつの日か木ノ本・菅浦とからめて再訪したいものです。さて十数分ほどで賤ヶ岳へのリフト乗り場に着きました。タクシーにはしばらくここで待っていてもらい、リフトに乗りましょう。なお本日でリフトの営業は終わり、明日からは冬季運休期間になることが切符売場で判明、なんと運の良いことでしょう、GRACIOUS!山ノ神。リフトはぐんぐんと山の斜面をのぼっていき、終点に到着。
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 ここから十分ほど山道を歩くと賤ヶ岳古戦場です。以下、岩波日本史辞典から引用します。
 1583(天正11)4月,北近江賤ヶ岳付近(現在の伊香郡木之本町・余呉町付近)での羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家との合戦。本能寺の変後織田家は分裂、秀吉は織田信雄と結んで、織田信孝・勝家・滝川一益らと北近江・北伊勢などで対立した。83年3月羽柴・柴田の両軍が北近江で対陣。秀吉は岐阜で挙兵した信孝を討つため一旦大垣城に入るが、柴田軍の攻勢を知って近江へ取って返し先発の佐久間盛政を破り大勝を得る。加藤清正、福島正則ら秀吉側近の七本槍の活躍が有名。勝家は越前北庄(現在の福井市)に戻るが、4.24総攻撃を受け、夫人(お市の方)とともに自刃。この勝利により秀吉は信長の後継者としての地位を確立。
 というわけです。しかしまあよくぞこんな山中で戦ったもんだ。展望所には戦跡碑がありますが、なんといってもその眺望の素晴らしさよ。眼下には木ノ本の町並みと奥琵琶湖・竹生島を、逆サイドに行くと余呉湖を手に取るように一望できます。ところどころにある紅葉が彩りを添えてこれもまた美しい。いままさに泣きそうな曇天のため視界が悪いのが残念ですが、雨が降っていないだけよしとしましょう。そしてこんなところでお目にかかろうとは思ってもいなかった顔はめ看板を発見。戦国武将のことについてはとんと疎いのでよくわかりませんが、秀吉なのでしょうか。愛を込めて激写していると、そばで休まれていた夫婦のハイカーがにこやかに「顔をはめたところを撮ってあげましょうか」と優しい言葉をかけてくれましたが、病は膏肓にまでは入っていないので丁重に辞退しました。
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 本日の三枚、一番下が余呉湖です。
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by sabasaba13 | 2009-10-21 06:07 | 近畿 | Comments(0)
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