さて二本榎通りをのてのてと歩いていると、まるで俗界に舞い降りた一羽の白鳥のごとき、白亜の瀟洒な建物がありました。アール・デコ風のモダンな味わいにあふれる、なかなかの物件です。近寄ってみると、高輪教会でした。フランク・ロイド・ライト設計の
明日館を髣髴とさせるファサード、そして真岡の久保講堂を思い起こさせる小さな塔や窓の意匠、もしや
遠藤新の設計では? 入口脇に掲示されていた教会案内には「礼拝堂は1933年献堂のライト式建築」とあります。とりあえず遠くから近くからなめるように眺め写真におさめました。
帰宅後、さっそくインターネットで調べると、ビンゴ! ではなくて、はずれ! 岡見健彦(1898-1972)という方の設計でした。1925年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業し、1925年から遠藤新建築創作所に勤務。遠藤新の紹介で、1929年に米国タリアセンに渡り、フランク・ロイド・ライトに師事します。岡見は、ライトの図面を、計画案と実施案に分類し、体系的に整理した最初のアプレンティスで、1930年に米国を離れるまでに多くの記録写真を撮ったそうです。欧州を回る帰国ルートでは、ル・コルビュジエを訪問。第二次世界大戦後は、米国海軍施設部で建築に携わるほか、教会建築や学校建築でライト風の建物の設計を行なったとのこと。へえー、また一人気になる建築家と出会うことができました。感謝。
そして二本榎通りに沿ってすこし歩くと、交差点の角に高輪消防署二本榎出張所が屹立していました。これはまごうことなく街のランドマークです。ゆるやかな局面と連続する縦長窓、そしてアーチを加えた縦長窓でちょっと雰囲気を変えた円筒形の塔、その上にぴょんと乗っかる火の見櫓。今ではビルの谷間に埋もれていますが、往時はさぞ目立ったものでしょう。竣工は1933(昭和8)年、設計は警視庁営繕係りの越智操だそうですが、とてもお役所仕事には思えぬ趣向のデザインです。人目を楽しませようという設計者の心意気をほのかに感じました。末永くこの街の守り神であってほしいと思います。なおインターネットでいろいろと検索してみたところ、ドイツ表現主義の影響を受けたと言及されている方がおられましたが、どうなのでしょう。建築にはあまり詳しくないので判断は保留します。また消防隊が出動していなければ、中の見学も可能ということが今判明しました。ああ惜しいことをした。
本日の二枚です。