高輪編(4):東禅寺(09.10)

 そして車道に戻ると、そこは桂坂。木柱の解説によると、むかし蔦葛(つたかずら)がはびこっていたから、あるいはかつらをかぶった僧が品川からの帰途急死したから、という名の由来があるそうです。後者の説には想像力をかきたてられます。鬘をかぶった坊さん? 悪所の品川からの帰途? 坂の途中で急死? なにかとてつもないドラマがあったのでは、博雅の士の教示を請いたいと思います。ためしに不肖わたくしが想像してみましょうか。東善寺の若きイケメンの僧・俊英が品川宿の女郎・お富に一目惚れ、鬘をかぶって俗人になりすまし夜な夜な彼女のもとに通います。それに横恋慕したイギリス公使館員ウィドマークが、この坂で彼を待ち伏せして殺害。危急を聞きかけつけたお富は、イギリスへの復讐を誓い、攘夷運動の女性闘士として欧米列強に立ち向かうことになりました。あああああああ凡庸だ… 己にストーリー・テリングの才がないことを痛感します。
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 桂坂から洞坂へと入るところにあるのが東芝山口記念会館、木立や塀の隙間から洒落た洋館の姿が垣間見えます。気になったので、垣間見える範囲や裏側などを撮影して、帰宅後にインターネットで調べてみると、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した朝吹常吉邸だということがわかりました(竣工は1925年)。三井財閥の一員で、後に三越や朝日生命の社長となった方だそうです。現在は東芝の迎賓館になっていますが、見学はできません。スパニッシュ・スタイルの素敵な洋館なのに残念、ぜひとも公開を望みます。なお、ウルトラセブンの「緑の恐怖」という回で、石黒隊長の家として登場したらしいというディープな情報も入手しました。ヴォーリズの建築については、近江八幡でたくさん見た記憶があります。ちょっと気になる建築家ですので、これからも注意していきたいと思います。それにしてもこのそれほど広くない地域に、ライト様式、ドイツ表現主義(?)、インターナショナル様式、そしてヴォーリズの建築が凝集しているのには驚きです。そうした最新の建築様式を受け入れる素地が、この高輪にはあったということでしょうか。と同時に、それらを貪欲に取り入れる日本建築界の食欲にも瞠目したいですね、消化できたかどうかは別にして。
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 そしてほぼ直角にくきくきと曲がる洞(ほら)坂をのぼっていきますが、周囲の建物に遮られて眺望はよくありません。なおこの名は、このあたりの字(あざ)、洞村からついたとのことです。
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 そして東禅寺に到着、山門をくぐり緑におおわれた参道を進むと、立派な本堂と三重塔がありました。ここは、イギリスとの間で結ばれた通商条約(1858)により、イギリス公使館が置かれたお寺さんで、攘夷派志士による二度の襲撃事件が起きたところでもあります。スーパーニッポニカ(小学館)にたよりながら、紹介しましょう。1861(文久1)年5月28日夜半、水戸藩の攘夷派浪士ら14名が侵入し、公使オールコックらを襲撃、彼は危うく難を逃れます。これでオールコックは、東洋民族の排外運動の根強さを再認識したと言われています。この事件の一周年にあたる1862年(文久2)5月29日に、東禅寺警備兵の一人、松本藩士伊藤軍兵衛は、代理公使ニールを襲撃。多大の藩財政の出費を強い、日本人相互の闘いを誘発しかねない公使館警備の解除を実現しようとします。彼は、イギリス水兵2名を殺害しますが、自らも負傷し番小屋で自殺します。うーん、強圧的な欧米列強の進駐に対する危機感と反発が爆発したととらえると、理解できそうな気がします。かつてわれわれの歴史においてこのような事件が起きたということは、アフガニスタンやイラクの現状を考えるうえで欠かせない視点を提供してくれるのでは。さて問題です。この事件はterrorでしょうか、attackでしょうか、resistanceでしょうか。そして多大な出費を強いる外国勢力の駐留に反発した伊藤軍兵衛、もし彼が今生きていたら、米軍基地への攻撃をしかけるでしょうか。答えは風の中で吹かれているだけ…
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-11-08 06:58 | 東京 | Comments(0)
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