鳩の街・玉の井編(3):玉の井(08.12)

 それでは玉の井へ向かいましょう。明治通りに出て南東へと少し歩き水戸街道を左折し東武伊勢崎線のガードをくぐると、鉄道関係の展示がある東武博物館がありました。そして線路ガードぞいに北へすこし行くと東向島駅、かつての玉ノ井駅に到着です。それにしてもなんでまたこんな即物的な駅名に変えてしまったのでしょうね。断末魔のような地霊の叫びが聞こえてくるようです。駅前にある地図で、玉の井の背骨ともいうべき「いろは通り商店街」を確認すると、さらに線路ぞいに北へ数百メートルほど歩いたところにありました。「赤線跡を歩く」を参考に、玉の井の紹介をしておきましょう。
 玉の井が大私娼街を形成するに至った契機は、1918~19年頃、浅草観音堂裏の道路(現言問通り)が拡張される際、許可が下りて、数軒の店が大正通り沿いに移動したことによるとされています。そして関東大震災(1923)によって、当時千軒あったといわれる浅草十二階下の銘酒屋街は壊滅、亀戸天神の裏手と玉の井の空き地に分かれて移ることになりました。もともと低湿地だったところに、道路を作るよりも早く、めいめいが勝手に家を建てたため、入り組んだ迷路のような路地ができあがったそうです。このことが、それまでの整然と区割りされていた遊郭とは異なり、独特の個性を与えることになります。しかし1945年3月の東京大空襲で全焼。(滝田ゆうの「寺島町奇譚」参照) 戦後は、全焼したそれまでの区域に代わり、いろは通り北側の、焼け残った住宅を利用して再開されます。なお永井荷風の小説「墨東奇譚」(※正確には墨にさんずい)の舞台としても知られています。
 よって徘徊の中心となるのはいろは通りの北側界隈です。まずはいろは通りを散策。
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 適当なところでいろは通りから北の路地に彷徨いこむと、おっいきなりそれっぽい雰囲気のお宅がありました。一階の大きな窓と、二階部分の角のゆるやかなカーブが印象的な、インターナショナル様式風の建物です。庇のところで仲良く頭をならべてまどろんでいた猫が「じゃますんなよ」とこちらを一瞥。
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 そしていよいよ玉の井の懐へと飛び込んでいきましょう。地図を見ただけで覚悟はしていたのですが、もうメロンの皴のようにぐしゃぐしゃと入り組んだ路地です。方向感覚を失うのは必定、まさしくlabyrinth(迷宮)だ… 「抜けられます」という看板がかつてあったのもむべなるかな。こうなったら足の向くまま気の向くまま、ぶらぶらと適当に歩き回るしかありません。
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 微妙にうねる道なりに歩いていると、異様に立派なバルコニーと角の部分が凝ったつくりの建物を発見、カフェーとして利用されていたのかもしれません。
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 ある路地に迷い込むと、一階部分に円柱、二階に大きなバルコニーのあるお宅を見かけました。円柱に近づいてみると、タイルの上に塗料を塗ってあるのが確認できました。ある程度自信をもって当時のカフェー等であると見たのは以上三軒。ほかにもいくつか気になる建物はあったのですが、確言はできません。
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 しばらく方向感覚の喪失を楽しんでいると、気がついたらいろは通りに出てしまいました。ちょうど目の前に肉屋「おおこし」があったので、飛び込み昼食がわりにメンチカツとハムカツとポテトフライを所望。数分待って揚げたてのフライをいただき、ほおばりながらの町歩き、私にとっての小確幸(小さいけれども確固とした幸せ)です。
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 さ、それでは旧玉ノ井駅に戻りましょう。途中で「天水樽」と書かれた青い樽を見かけましたが、墨田区は雨水の利用を積極的に行っているようです。そして本日の締めは「バーバーじじ」、はいっ座布団二枚!
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-07 06:11 | 東京 | Comments(0)
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