深川七福神・洲崎編(4):円珠院・採荼庵旧跡(09.1)

 そして平野二丁目の交差点を西に曲がり、すこし歩いて右折すると大黒天を祀る円珠院です。それほど混んではいなかったので列に並び参拝。表には、フランキー堺にそっくりなもう一体の大黒天が破顔一笑していました。さらに西行すると再び清澄通りと清澄庭園につきあたります。庭園の前には、三階建ての古い集合店舗・住宅が並んでいますが、関東大震災以後に、同潤会アパートと同様スラムクリアランスのために建てられたものかもしれません。
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 清澄通りを南へ行くと仙台堀川、江戸時代に仙台藩が国役によって開削を命じられたのかな。と思いきや、ウィキペディアで調べたところ、北岸にあった仙台藩邸の蔵屋敷に米などの特産物を運び入れたことに由来するそうです。失礼いたしました。ここに架かる海辺橋の南側にあるのが採荼(さいと)庵旧跡、芭蕉の門人・杉山杉風の別荘跡ですね。1689(元禄2)年3月27日早朝、芭蕉はこの庵から「おくのほそ道」の旅路へと出立、目の前の仙台堀から船に乗り込み隅田川をさかのぼって千住大橋へ、そこで曽良と落ち合うことになります。"住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、草の戸も住み替る代ぞひなの家 面、八句を庵の柱に懸け置く"と「おくのほそ道」にあるとおりです。なぜ芭蕉庵から出発しなかったのか? 山ノ神のご教示によると、方違(かたたがえ)のためだそうです。陰陽道の説により平安以降行なわれた風習で、他出する時、それが忌むべき方角に当たっている場合、前夜に別の方角へ行って泊まり、改めて目的の場所へ行くことですね。高校の古典の授業で習ったとのことですが、彼女の記憶力の良さには舌を巻きます。なおこちらには、縁側に座り、いままさに旅立たんとしている芭蕉翁の像があります。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-11 06:57 | 東京 | Comments(0)
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