そしてシャトー・カミヤへ。浅草にある神谷バーをつくった神谷伝兵衛が、1901(明治34)年に建設した日本で始めてのワイン醸造所です。煉瓦づくりと白漆喰、非対称に配置された塔、見応えのある本館です。資料館も併設されており、黴に覆われた漆黒のワインケラーも見学できます。
そして土浦へ移動して、まず予科練資料館を見物。現在は自衛隊兵器学校ですが、十五年戦争当時、海軍少年航空兵養成の施設(予科練)が置かれていました。ゲートで氏名・住所を名簿に記入し入場(正直に書いちまっただ!)、当時の兵舎や資料館を見物しました。銅像の碑文に「ただ救国の一念に献身し未曾有の国難に殉じて実に卒業生の八割が散華したのである」と記してあるのを読んで、あきれましたねわたしゃ。まるで戦争を自然災害のごとく捉える知的怠慢と無神経さ。誰が「未曾有の国難」を引き起こしたのか、主語を明記すべきです。これでは犠牲者はうかばれない。そういえば小泉純一郎は有事法制について「備えあれば憂いなし」と言ってましたね。天災に備えても、別に自然は怒りませんが、某国に備えて軍備を強化すれば、相手は警戒して緊張が高まるということが、なぜ分からないのか? こうした貧弱なレトリックに簡単に引っかかるというのは、深刻な学力不足です。子供より大人が心配。ただ一つ救われた光景は、蜘蛛の巣がはった大砲があったことです。A Farewell to Arms !
気を取り直して土浦第一高校へ移動。ここには1904(明治37)年につくられたゴシック様式・木造の本館があります。たまたま文化祭にあたり内部を見学できるとの確認をとっていたのですが、残念なことに公開時間は終了。外観をしげしげと眺めましたが、それにしてもよくぞまあこげな校舎をつくったもんだ。とにかくいかにもヨーロッパ、という建物にしたかったのでしょうね。そういえば途中で、大聖堂にくりそつな建物(ラブホテル?レストラン?)を二軒見かけました。土浦にはこういう文化が脈々と受け継がれているようです。でもフィレンツェに金閣寺を模したラブホテルがあったら、さぞ異様でしょうね。
さてさて、次は霞ヶ浦遊覧船に乗りましょう。ベンツ製の高速船に乗って、霞ヶ浦を30分ほどかけて周遊しますが、眺望は凡百、エンジン音も騒がしく、旅情にひたる雰囲気ではありません。ちょっとお勧めはできませんね。街の彼方にそびえたつ筑波山は見事でしたけれど。
本日の二枚。シャトー・カミヤと土浦第一高校本館です。