土佐・阿波編(18):安芸(09.3)

 野良時計の前には瓦屋根が二段になった古めかしい火の見櫓がありました。僥倖なるかな、野良時計の隣に食事ができる喫茶店があったので、こちらで朝食兼昼食をいただくことにしましょう。ちりめん丼といそべあげ(イカに青海苔をまぶして揚げたもの)が空きっ腹に吸い込まれるように消えていきました。美味しかったあ… 食後の珈琲を飲みながら女将にいろいろと伺いましたところ、さきほどの火の見櫓は古式を再現して二十年ほど前につくられたとのこと。また忽然と消えた古い町並みについては、住民が団結できなかったので保存できなかったそうです。食事を終えて外へ出て野良時計を見上げるといまだ十時十分、どうやらメンテナンスをしていないのかな。
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 ここから数分走ると土居廓中(かちゅう)という武家屋敷群です。土居とは土塁で囲まれた地方豪族の館、廓中とはその周囲に家臣の屋敷が集められた区画。300年この地を支配してきた安芸氏は、戦国時代末期、長宗我部元親によって攻め滅ぼされますが、その後わずか三十年で、長宗我部氏は関ヶ原の合戦に敗れて滅亡。新たに山内一豊が土佐藩主になると、家老の五藤氏が安芸に入り、安芸氏が築いた安芸城跡を「お土居」として利用しました。その家臣たちが居を構えていたのがこのあたりです。土用竹やウバメガシの生け垣が連なり、閑静で清冽な情緒をかもしだしています。前者は細い竹を群生させた珍しい生け垣で、夏の暑さ、冬の寒さ、強風を防ぐとともに、いざという時弓矢として使うためともいわれているそうです。なお野村家のみが無料で一般公開されており、往時の武士の質素な暮らしがよくわかります。
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 近くには歴史民俗資料館と書道美術館、このあたりが安芸城址でお堀が残っています。
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 付近をふらふらと彷徨っていると慰霊塔、良心市(良心的な値段? 良心を信じる無人販売?)、「叱られて」の歌碑、そして安芸小学校と二宮金次郎像に遭遇。それにしても高知は金次郎像がよく残っていますね。
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 そして西の方へ十分ほど行くと岩崎弥太郎生家です。解説板から引用しましょう。
岩崎弥太郎の先祖は安芸国虎の家臣だったようで、のち長宗我部の安芸支配の時代は長宗我部に仕え、山内氏土佐入国後は郷士として開墾に従い農業を営んでいた。
この家は、弥太郎の曽祖父弥次右衛門の古家をもってきて建てたもので、当時の中農の標準的な構えである。今も岩崎家の所有で保存管理は行き届いている。後年の建築である土蔵は棟の鬼瓦に「三階菱」の岩崎家の紋をつけている。三菱のマークの原型といわれる。
座敷から眺める小さな庭の日本列島を模した石組は弥太郎が少年の日に日本に雄飛する夢を託して自分で作ったものだという。
 なるほど鬼瓦にはたしかに三段重ねの菱形が見てとれます。来年のNHK大河ドラマは弥太郎の目を通して描いた坂本龍馬ということらしいので、ここにも観光客が押し寄せるかもしれません。庭の桜は五分咲き、花ごしに見える漆喰壁・水切り瓦がきれいでした。すぐ前に「春よこい」の歌碑があります。
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 さてそろそろ駅に戻りますか。明日は雨という予報なので、室戸岬は是が非でも今日のうちに見ておきたい、よってその前に訪れる吉良川逍遥の時間を考慮すると、13:06発甲浦行きのバスに乗りたいところです。一所懸命にペダルをこいで午後一時ちょっと前に安芸駅に到着。自転車を返却し、荷物をコインロッカーから取り出して、定刻通りやってきたバスに飛び乗りました。運転手さんに確認したところ、「学校通り」というバス停で降りればよいとのこと。車窓を流れるいろいろな町の光景を楽しんでいると、やはりてくてくと歩くお遍路さんをよく見かけました。バス停には「へんろ道」というステッカー。そして一時間ほどで吉良川(きらがわ)に到着です。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-14 06:11 | 四国 | Comments(0)
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