そして最御崎寺のお寺さんの少し先が室戸岬灯台です。太平洋の大海原を睥睨するかのように、白亜の灯台が孤塁を守っていました。あの室戸岬台風(1934)にも耐え抜いた剛毅にして寡黙な立ち姿には惚れ惚れしてしまいます。完成は1899(明治32)年、レンズの直径2.6mは日本一の大きさで、約49km先まで光が届くそうです。せっかくだからもう少し高いところから写真を撮りたいなときょろきょろすると、後ろの斜面上部に三脚でカメラをセットしている方がおられます。夕日と灯台を撮影するためでしょう、「高価そうな三脚を持つ人の脇で撮る」という"いい写真を撮るコツ第二原則"に従い斜面をよじのぼっていくと、やはり絶景でした。残念ながら薄い雲が空を覆っているので、名物「ダルマ夕日」は見られそうにありません。でもこれだけの雄大な眺望が見られたらもう大満足、紫煙をくゆらしながらしばし見とれていました。
すると車でやってきたらしいカップルが何組もやってきて「きゃーきれー」と叫んで写真を撮ってはすぐ帰っていきます。うむ、やはり己の足を使って苦労してたどりつかないと、美を味わいつくすことができないのだな、などと引かれ者の小唄を呟いてしまいました。それにしてもたかだか一人か二人を安楽に移動させるために重さ1トン前後の金属の固まりを、有毒物質と騒音をまきちらしながら時速数十kmで走らせ時には人を轢き殺してしまうなんて、環境の破壊・資源の浪費・人間性への冒涜ここにきわまれりです。自動車を使う人への増税と課徴金徴収、使わない人への交付金の配布など、こやつらの跳梁跋扈を何とかして食い止めないといけません。そうすれば公共輸送機関の利用者も増えるだろうし。政治家諸氏の英断に期待します。
さて、暗くならないうちに下山しますか。足をすべらせないように気をつけて車道にたどりつき、海沿いに設置されている乱礁遊歩道をホテルに向かって歩いていきましょう。波の浸食を受けて地形はえぐれ、エボシ岩やビシャゴ岩といった大小の奇岩が立ち並ぶ、殺伐荒涼とした光景がひろがります。
途中に「土佐日記御崎の泊」という石碑がありましたが、土佐守の任満ちた紀貫之は、陸路ではなく、室戸岬をまわる陸伝いの航路で帰京したわけだ。今、調べてみたところ「十六日。風波やまねば、なほおなじところに泊れり。ただ、『海に風なくして、いつしか御崎といふところ渡らむ』とのみなむ思ふ」という記述が「土佐日記」にありました。
孤高の太公望を横目にごつごつとした岩にすわり紫煙をくゆらしながら、岩に襲いかかる爪牙のような荒波を見つけていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。さ、もうひと頑張り、「弘法大師行水の池」を通り過ぎ、青年大師の白い巨像が見えてくると、ホテルはもうすぐそこです。
チェックインをして部屋に入ると、内装や調度はしょぼいものですが、眺望は抜群、眼下には暮れなずむ大海原と岩場がひろがっています。さて素泊まりという予約でしたが、近くに食事をとれそうな店はなさそうです。ホテルの食堂にかけこんで、鯨のステーキを注文。悪くはないのですが、竜田揚げの方が私の好みです。土産屋で純米吟醸「龍馬」を購入し、潮騒の音をつまみに一献かたむけ、そして熟睡…
本日の二枚です。