土佐・阿波編(26):鳴門市ドイツ館(09.3)

 展示はなかなか充実したものでした。等身大人形十数体による第九の初演風景や、ミニチュア人形による収容所内の日常風景、多彩な活動の様子や地元民との交歓を写した写真など興味深いものでした。ステッセル少佐(だったと思いますが)による「耐忍」というたどたどしい書には、おさえがたい望郷の念があふれていました。降伏した敵を人間的に遇するというこうした態度がなぜ根づかず、第二次大戦時におけるような非人間的な扱いとなったのか、これは一考に値する問題だと思います。ドイツ館のすぐ近くにはベートーベンの銅像、そして木造平屋の物産館があり、ここではちゃきちゃきのドイツ・ソーセージを食することができるのですが時間の関係上泣く泣くカット。ん? 壁面に「登録有形文化財」というプレートがあり、その解説にこう書いてあります。「この物産館は、第一次世界大戦時、現在の鳴門市大麻町桧にあった板東俘虜収容所で兵舎として使われていた建物が近くの農家に移築され、最近まで牛舎に使用されており、平成16年に登録有形文化財に指定されていたものを再度この場所に移築し物産館として活用しながら文化財の保護に努めています」 へえーこれがそうだったのか。その隣にあるのが賀川豊彦記念館。労働運動・農民運動、関東大震災に際しての罹災者救済活動、救らい活動、都市消費組合運動、医療組合の組織、農村産業組合運動などに尽力したキリスト教社会運動家・賀川豊彦(1888-1960)はこの地の出身だったのですね。敬意を表して入館、一階の展示室だけを拝見しました。
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 幸い強い風はやみ曇天ですので、歩いて板東駅へと向かうことにしましょう。県道に向かって南下する途中の脇道奥にあるのがドイツ兵の慰霊碑です。
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 県道12号線にでて東行すると、そこが「一番さん」、四国霊場第1番札所・霊山寺(りょうぜんじ)です。さすがに第1番札所だけあって、大型バスが数台とまっており、境内も多くのお遍路さんでにぎわっていました。お遍路グッズ一式もここや近くの店で入手できるそうです。正式な恰好をしたマネキン(女性)が門前にあったのには笑ってしまいました。
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 さてこれでほぼ一時間、どうやら列車に間に合いそうです。駅近くにあった火の見櫓を撮影し、入線してきた列車に乗り込み、これで「歩き遍路の里 板東」とはお別れです。
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 阿波大宮駅を過ぎると、次は讃岐相生駅、このあたりが国境なのですね。板東から三十分弱で引田(ひけた)駅に到着です。播磨灘に面した小さな港町。海を隔てて大坂に近かったことから、中世には讃岐で最初の城が築かれ、秀吉の時代には讃岐制覇の拠点となった歴史をもっています。江戸時代になると、風待ちの良港として栄え、讃岐三白(塩・砂糖・綿)、日用品、穀物、紙などを扱う商家94軒が軒を並べ、町は活気に満ちあふれていたそうです。また大豆と小麦が豊富にとれ、醤油の醸造もさかんでした。そうした商家の町並み、そしてかつては七軒あったという醤油醸造業のうち一軒だけ現役で残る「かめびし」がお目当てです。想定通り、駅周辺には観光案内所はありませんが、レンタサイクルが駅構内にありました。しかしガイドブックによると小さな町だし、ぽつぽつと雨も降りはじめたので、てくてくと徒歩で逍遥することにしましょう。幸い、事前にインターネットで詳細な観光地図を入手することができました。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-26 06:18 | 四国 | Comments(0)
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