松本・上高地編(5):安曇野(09.5)

 信濃大町で乗り換えて14:39に穂高駅に到着です。このあたり一帯がいわゆる安曇野(あづみの)、私にとって未踏の地です。ガイドブックによると、北アルプスを望む長閑な田園風景と点在する道祖神、そしてさまざまな美術館が売り物のようです。かなり広大なエリアですので、とりあえず自転車を借りて、一番食指をそそられる碌山美術館と大王わさび農場を中心にふらふらと彷徨うことにしましょう。なお安曇とは、海神である綿津見命を祖とする古代日本の氏族・阿曇氏に由来する地名だそうです。以下、ウィキペディアの解説を引用します。
 古代日本を代表する海人族として知られる有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)とされる。本拠地とされる北九州の志賀島一帯から全国に移住し、また古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じて関連があったとされる。
 安曇は海人津見(あまつみ)が転訛したものとされ、津見(つみ)は「住み」を意味する古語とする説もあり、安曇族はそのまま「海に住む人」を示す。
 律令制の下で、宮内省に属する内膳司の長官を務める。これは、古来より神に供される御贄には海産物が主に供えられた為、海人系氏族の役割とされたことに由来する。(中略)

 安曇族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達し、更に三河国の渥美郡 (渥美半島、古名は飽海郡)や飽海川(あくみがわ、豊川の古名)、伊豆半島の熱海、最北端となる飽海郡(あくみぐん)は出羽国北部(山形県)に達する。この他に「志賀」や「滋賀」を志賀島由来の地名として、安曇族との関連を指摘する説がある。
 そして川を遡り、信濃国のこのあたりまで移住して「安曇」という名を地名に残したということです。類似の地名の分布によって、その移動の足跡を確認できればその可能性は高いでしょうね。興味深い仮説として受け取っておきます。さて駅前では多くの店で自転車を貸し出しており、その確保には事欠きません。「うさぎや」という店で自転車をお借りしてさあ出発。ロータリーのところに親子づれのアルピニストの銅像「登頂」と、「自由民権家 松沢求策胸像案内」という道案内つき看板がありました。ちょっと駅から遠いようですが、忘れなかったら徘徊の最後に寄ってみることにしましょう。(告白:忘れてしまいました)
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 雲が多くなってはきましたが、爽やかなそよ風が頬をなでる絶好のサイクリング日和。まずは大王わさび農場へと向かいました。「歩く地図」シリーズ(山と渓谷社)を愛用している理由は、正確無比にして史跡・石碑・記念碑類を丁寧に記載してある地図と、虚飾を排した無駄のない構成です。安曇野の地図には、道祖神のある場所が記されていましたので、これを頼りに道祖神を経巡りながらペダルをこぎましょう。さてさて釈迦に説法ですが、道祖神とは何か? 岩波日本史辞典から引用すると、「道ばたや境界に祀られる神格。旅の神、足の神として信仰されると同時に、境界地で祭祀されることが多い。古代の記録にクナドの神として見えるのが早く、その後、地蔵菩薩や猿田彦大神の信仰と習合。」 要するに村に魔物が入らないように、村と外界との境界に祀られる神ですね。別名サエノカミ、さえぎるの「さえ」と意味は同じです。男女二体を彫ってあるというイメージがありますが、これは中部地方特有。地方によっていろいろなバリエーションがあり、自然石、丸石、単体の道祖神もあります。以前に真鶴半島での道祖神めぐりを拙ブログで記事にしましたが、今回は双体道祖神の本場・信濃です、楽しみだな。でもなぜ双体なのでしょうね。夫婦和合、および豊穣を象徴する性交をあらわしたものなのでしょうか。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-02-22 06:08 | 中部 | Comments(0)
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