松本・上高地編(7):碌山美術館(09.5)

 彫刻家・荻原守衛(号は碌山)の作品を展示してあるのが、ここ碌山美術館です。以下、スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 荻原守衛(1879―1910)。明治12年12月1日、長野県に生まれる。井口喜源治の研成義塾に参加し、1899年(明治32)画家を志して上京、不同舎に学んだが、1901年(明治34)アメリカに留学。03年フランスに渡り、アカデミー・ジュリアンでJ・P・ローランスに師事した。翌年のサロンでロダンの『考える人』を見て強く感動し、彫刻に転じた。いったんアメリカに戻り苦学したのち、06年ふたたびフランスに渡り、アカデミー・ジュリアンの彫刻部に入り、ロダンを訪れた。08年帰国し、第2回文展に『文覚』と滞欧作を応募したが『文覚』のみ入選し、三等賞を受賞した。翌年第3回文展で『北条虎吉像』(重要文化財)が三等賞を受けたが、文展や太平洋画会展に発表した生命感あふれる新鮮な造形は、工部美術学校以来の外形描写を主とする彫刻界に大きな刺激を与えた。そして戸張孤雁、中原悌二郎、中村彝、堀進二ら多くの新進美術家に強い影響を及ぼし、荻原を中心に相馬愛蔵・黒光夫妻による「中村屋グループ」が形成され、戸張と中原は絵から彫刻に転じた。帰国後わずか2年後の明治43年4月22日に急死したが、死後の第4回文展で絶作『女』(重要文化財)は三等賞を受けた。充実した量塊に豊かな生命感をもつみずみずしい造形は、高村光太郎とともに、日本の彫刻に初めて本格的な近代の扉を開いた。
 彼はここ安曇野出身なのですね。「歩く地図」(山と渓谷社)によると、彼の生家跡と、彼をいろいろと援助した新宿中村屋主人・相馬愛蔵の生家跡もあるようです。ぜひ帰りに寄ってみましょう。受付から中に入ると、匂い立つような新緑の木立の中に碌山の作品「労働者」が野外展示されており、その向こうに蔦がからまるまるで教会のような美術館がひっそりと力強く佇んでいます。1958(昭和33)年完成、設計は今井兼次。なお早稲田大学坪内博士記念演劇博物館や長崎の日本二十六聖人殉教記念館も彼の作品だそうです。
c0051620_8263697.jpg

 中に入ると、正面には"LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY"という、彼の言葉が刻まれています。館内は狭いのですが、彼の代表作である「女」「文覚」「北条虎吉像」「デスペア」が所狭しと並べられている濃密な空間でした。エネルギーが内側からふつふつと沸き立つ彫刻をしばし堪能しましたが、もっとも心に残ったのは「デスペア」。まるで地と一体化したように伏して絶望にあえぐ女の存在感には圧倒されました。美術館HPの解説によると、「心でしか結ばれない相馬黒光(※相馬愛蔵の妻)への、恋慕の苦悩のなかで」、この作品は生まれたとのことです。なお相馬黒光は、本名は良(りょう)、自立心が強く夢多き女性で、宮城女学校をストライキ事件により退学し、明治女学院を卒業後、キリスト者の養蚕事業家として活躍していた相馬愛蔵と結婚して安曇野に住みました。なお「黒光」の号は、恩師から与えられたペンネームで「溢れる才気を少し黒で隠しなさい」という意味でつけられたものと言われています。しかし健康を害し、また村の気風に合わなかったこともあり、療養のため上京、そのまま東京に住み着いて夫婦で本郷に小さなパン屋・中村屋を開業(1901)。(後に新宿に移転) クリームパン、中華饅頭、月餅、インド式カリーなどを考案するとともに、絵画・文学等のサロンをつくり、荻原碌山、中村彝、高村光太郎、戸張弧雁、木下尚江、松井須磨子、会津八一らに交流の場を提供し、「中村屋サロン」と呼ばれました。また、亡命したインド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースらをかくまい、ロシアの亡命詩人ワシーリー・エロシェンコを援助するなどの活動もしています。なお「中村屋のボース」(中島岳志 白水社)という大変面白い本がありますので、よろしければご一読を。

 本日の二枚です。
c0051620_827674.jpg

c0051620_8273018.jpg

by sabasaba13 | 2010-02-28 08:28 | 中部 | Comments(2)
Commented by 村石太マン at 2010-10-24 22:41 x
恋愛をする 情熱 そして 恋愛の時間による破滅 星のように 美しく
正しき愛を成就する二人。ファムファタール 女性のひそかな 願望
女の束縛欲かなぁ?芸術に縛られた? 荻原さん。
テレビも 映画もない時代 娯楽が少ない時代。
彫刻は 狭い日本で どうかなぁと思う。インテリア 住まい 居住空間のなかで 少し 芸術を 機能的に 癒し的に できれば いいなぁと思う。住まいは シンプルのがいいかなぁ。フィギアVS像

Commented by sabasaba13 at 2010-10-25 19:19
 こんばんは、村石太マンさん。碌山の作品を語る上で、信濃の自然と黒光への愛は欠かせないポイントだと思います。こうした優れた彫刻を、それにふさわしい環境の中で鑑賞できる公共空間がもっと増えることを切に望みます。
<< 松本・上高地編(8):碌山美術... 「ヤクザと日本」 >>