松本・上高地編(17):旧山辺学校・旧制松本高等学校(09.5)

 事務所の公衆電話でハイヤーを呼び、搭乗。運転手さんは親切な方で、明日上高地に行く予定だと言ったら、いろいろな情報を教えてくれました。往復切符を買うと割引がある、現地は物価が異常に高いので水・食糧は持参していったほうがよい、大正池は土砂でかなり埋まっているのでカットして明神池に足をのばすのも一つの選択肢などなど。たいへん参考になりました。地元の四方山話を聞いているうちに、車は教育文化センターに到着、もう雨がざんざばざばざんと降りはじめています。こちらに保存展示されているのが旧山辺学校校舎、地元の大工棟梁・佐々木喜十の指導により、当時の里山辺・入山辺の二村の力で建てられ、1886(明治19)年に開校以来、1928(昭和3)年まで学校として使用され、現在は歴史民俗資料館として余生を送っています。松本といえば、旧開智学校をすぐ思い起こしますが、多少地味とはいえ(というより旧開智学校が派手過ぎ)、味わいのある擬洋風建築です。中央に屹立する洋風の八角塔や、腰壁の石積模様がチャーミングです。なお解説によると、旧開智学校が、外国から輸入した高価なガラスや色ガラスを使用していたので「ギヤマン校舎」と呼ばれていたのに対し、この山辺学校は障子を使っていたので「障子学校」と呼ばれていたそうです。
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 そして待っていてもらったタクシーに飛び乗って、向ってもらうは「あがたの森」。こちらに保存展示されているのは、1919 (大正8)年に創立された旧制松本高等学校の洋風校舎と講堂です。自由闊達な校風で知られ、唐木順三・中島健蔵・臼井吉見・辻邦生も卒業生だそうです。かつて愛読した北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』で描かれている青春は、この校舎が舞台だったのですね。旧制高等学校の遺構が少なくなってきているなかで、当時の状況が最もよく保存されている唯一のものとも言われているそうです。薄緑色に塗られたドイツ風の木造建築で、角に正面玄関をもってきているのが珍しいですね。両側の三角破風と正面上部のマンサード型破風が面白いアクセントになっています。
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 再び待っていてもらったタクシーに乗り、中町通りに向かってもらいました。丁重にお礼を言い、運転手さんとはここでお別れです。ここ中町通りは西から東へ抜ける善光寺街道(北国街道西街道)沿いにあり、江戸時代には酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛してきました。しかし江戸末期や明治に南深志一帯が大火に見舞われ主要な施設や町家が多数失われたので、防火のためになまこ壁の土蔵が造られ、その一部が残っています。漆器の老舗や古美術店などもあって情緒をかもしだしていますが、観光用に厚化粧した雰囲気もうかがえます。その中でぴかりと一筋の光芒を放っていたのが、「みどり薬品」という薬局です。堂々としたファサードの看板建築で、"薬"という文字を中心とした装飾の浮き彫りや、アルプスの稜線を髣髴とさせるような屋根のスカイラインなど、思わず見惚れてしまいました。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2010-03-10 06:12 | 中部 | Comments(0)
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