池之端・根津・谷中編(6):全生庵(09.5)

 横断歩道を渡り、あかじ坂の手前を左に曲がると、ヘビ道です。へびみちい? かつてここを流れていた藍染川を暗渠にしてつくった蛇行する細い路地、つまりヘビ道と呼ばれるようになったそうです。『雁』の岡田青年が散策したのもこのあたりだったのかもしれません。新しい家が建ち並び風情はありませんが、くねくねとうねるまったく見通しがきかない細い路地を歩くのも一興です。途中で見事な鏝絵が雨戸の戸袋にほどこされたお宅を発見。
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 そして三崎(さんさき)坂に到着、こちらでも同じ意匠の鏝絵を見つけました。おそらく同じ職人の手になるものでしょうが、何をあらわしているのだろふ? アカンサスでもなさそうだし。朝日湯という銭湯は、お寺のような造りではないごく普通の佇まい。
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 そして坂をのぼり左手にあるのが全生庵、山岡鉄舟が維新に殉じた人々のために創建した禅刹です。こちらには鉄舟と三遊亭円朝の墓があるのは知っていましたが、「叱られて」「雀の学校」などの童謡を作曲した弘田龍太郎の墓もあるのですね。彼の出身地である安芸を訪れた直後なだけに不思議な縁を感じます。なお八月には、円朝が収集した幽霊画のコレクションが公開されます。境内に入ると、鉄舟と円朝を顕彰する石碑がありましたが、そのとなりにあるのが「山田良政君碑」。
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 寡聞にして知りませんでしたが、中国革命に殉じた方なのですね。解説には「中国革命党の活動を支援し、1900年の恵州蜂起に加わって戦死した山田良政の死を悼んだ孫文が、1913年に来日した際に建立した記念碑。孫文自身の書で、同志であった山田良政の、アジアのために捧げたその志は不朽だと記す」とあります。今、インターネットで調べたところ、台湾・台北市にある忠烈祠に奉られているただ一人の日本人だそうです。彼といい内山完造といい、中国を愛し中国のために尽力した人物がいたということを忘れないようにしましょう。なお山田家の菩提寺がある青森県弘前市新寺町の貞昌寺にも孫文が筆刻した山田良政の碑があるそうです。それにしてもまだまだ知らないことがいっぱいあるものですね、思わず頬が緩みわくわくしてしまいます。
 それでは墓参をしましょう。鉄舟と円朝の墓は案内板がありすぐにわかりましたが、弘田龍太郎の墓は見つけられませんでした。
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 本日の一枚は、山田良政の碑です。
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by sabasaba13 | 2010-04-08 06:38 | 東京 | Comments(0)
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