翌日は小海線に乗って、小海・馬流方面へ。実はこのあたりは、秩父事件の最後の激戦地です。秩父事件とは、1884(明治17)年、秩父地方やその周辺の負債農民と地元の自由党員らが結成した秩父困民党による武装蜂起です。約三千人が参加し、一時は秩父市内を占拠して官権力を一掃したのですが、軍・憲兵・警察によって数日で壊滅。十石峠を越え信州で態勢を立て直そうとした困民党が、警察・軍隊と戦い壊滅したのがここ馬流です。
まず小海駅からタクシーで北相木村へ。困民党への参加者も多く、参謀の一人菊池寛平もこの村の出身です。約二十分で到着、まずは諏訪神社にある「自由民権雄叫び」の記念碑を拝見。秩父事件を顕彰した内容の碑文ですが、「反動政治の犠牲」という一文が印象的ですね。となりには「日露戦争・大東亜戦争戦没者名碑」「満蒙開拓団慰霊碑」「忠魂碑」がありました。この小さな村の近代の歴史がギュッと濃縮されたような空間です。自由・権利・貧困・戦争…
近くに菊池寛平の墓があるとの情報を得ていたので、運転手さんと一緒に探しました。それらしい墓石の一群があったので、農作業をしていた年配の女性に尋ねたところすぐに教えてくれました。合掌。彼女曰く「やくざな男でのお、嫁さんはえらい苦労したそうじゃ」 歴史はこうやって語り継がれていくのですね。そしてタクシーで馬流へ。ここには、困民党の戦死者十三名を村人が葬った墓があります。
その近くには、東日本旅客鉄道労働組合が立てた「秩父事件百十周年顕彰碑」も。さらに北へ十五分ほど歩くと、最後の激戦地のあたりに「秩父困民党散華之地」という記念碑と、菊池寛平ともう一人誰かの小学生の夏休みの宿題のような石像があります。
馬流駅の近くには、困民党が接収して本部として利用した旧本陣の建物、千曲川の岸辺には「秩父事件古戦場跡」という看板もありました。
ふうっ、というわけで秩父事件を題材にした「草の乱」という映画も上映されましたし、ちょっと注目すべきエリアです。
本日の一枚は、千曲川秩父事件古戦場跡です。