下館・益子編(3):下館(09.8)

 それでは先へ行きましょう。すこし歩くと、「かせき堂本店」という看板のある白亜の洋館がありました。かせき堂? 建物横の上部に「花赤堂菓子」という立派な浮き彫りがあったのでお菓子屋さんであることが判明。それにしても佇まいといい上品な装飾といい、市井の一商店とは思えぬ逸品です。侮れないぞ、下館。それにしても、はたはたとはためく幟に書いてある「波山 鳩杖最中」とは何ぞや。板谷波山記念館に行けば、その謎がとけるかもしれません。
c0051620_8184254.jpg

 なおこのあたりでは、石(大谷石?)造りの重厚な蔵をいくつか見かけました。
c0051620_819658.jpg

 「たばこ小売所」という古いホーロー看板もゲット。花壇には「犬の排尿排便に注意して下さい」という貼り紙がありましたが、マイルドな謙譲の美徳的表現ですね。
c0051620_8192644.jpg

 そしてその先にあったのが、おおっ、われらが中澤時計店! 「店計時澤中」という店号、および誇らしげに大書された電話番号の浮き彫りが、戦前の物件であることを雄弁に物語っていますが、その大胆不敵にして奇妙奇天烈な意匠には腰が抜けました。ファサード両側に屹立する横縞の入った異形の塔、そして中央には大きな置時計。「目立ちゃいいんだよ、目立ちゃ」というのが狙いであるのならば、見事に成功しています。いやはやそれにしてもこれだけ奇抜な建築を許容する下館の懐の深さを痛感させてくれる傑物です。そして国道50号線を右折してしばらく歩くと板谷波山記念館に到着です。まずは彼のプロフィールについて、スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 板谷波山(1872―1963) 陶芸家。茨城県下館市に生まれる。本名は嘉七。初め彫刻家を志し、17歳のとき東京美術学校彫刻科に入学。卒業後赴任した石川県工業学校で陶磁科を担当したことから本格的に製陶を研究し始め、32歳のとき東京都北区田端に窯をおこし、故郷の筑波山にちなんで波山と号した。彫刻科出身者らしく、成形から加飾まで全力を傾注して一作を仕上げていく完璧主義を貫いた技巧派の巨匠で、また釉薬を中心とする加飾法の独創も早くから意図したところであった。
 作風が確立するのは40歳ごろからで、独自の葆光釉(ほうこうゆう)を開発し、完成度の高い器形や文様を夢幻的調べで包むという未曽有の美的世界をつくりあげた。1953年(昭和28)81歳で陶芸家としては初の文化勲章を受けた。
 入口前にある彼の胸像に挨拶をして入館すると、彼の生家と、田端にあった工房が移築保存されています。そして展示館には、彼の作品が数点、下絵、硯箱やゆかりの品々が展示されています。その作品を見ると、破調を嫌い、あくまでも調和のとれた美をめざした求道的な方のようですね。しばしその世界を堪能いたしました。なお解説によると、晩年、彼は郷里下館の高齢者に鳩杖をつくって寄贈し続けたそうです。なおこれは、ハトは物をついばむときにむせないとされることにあやかって、老人に鳩の飾りが付いた杖を贈る中国の慣習に由るとのこと。また、亡くなる一年前には、奨学金として五百万円を下館に寄贈したそうです。筑波山からとった号といい、ほんとうに故郷を愛していたのですね。
c0051620_8195556.jpg


 本日の二枚です。
c0051620_8201381.jpg

c0051620_8203281.jpg

by sabasaba13 | 2010-04-17 08:21 | 関東 | Comments(0)
<< 下館・益子編(4):下館(09.8) 下館・益子編(2):加波山事件... >>