下館・益子編(10):真岡(09.8)

 それでは彼について、ウィキペディアを参照しながら紹介しておきましょう。
 遠藤 新(えんどう あらた 1889-1951) フランク・ロイド・ライトに学び、そのデザイン・空間を自己のものとして設計活動を行った建築家。福島県相馬郡福田村(現新地町)出身。第二高等学校を経て東京帝国大学建築学科卒業。明治神宮の建設に関わった後、1917年、帝国ホテルの設計を引き受けたライトの建築設計事務所に勤める。建設費用がかかり過ぎるとしてライトは解雇され、途中で帰国してしまうが、遠藤ら弟子が帝国ホテルを完成させた。また、自由学園、山邑邸も、ライトの基本設計を元に完成。1935年からは満州と日本を行き来して設計活動を行った。1945年満州にて第二次世界大戦の終戦を迎えたが、翌年心臓発作で入院し、半年後に日本に帰国した。1949年からは文部省学校建築企画協議会員を務め、戦後占領下の日本における学校建築のあり方に対する提言を行った。1951年4月体調を崩し、東大病院に入院。2ヶ月後、同病院にて死去した。
 私が彼のことをはじめて知ったのは、東京目白にあるフランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館を訪れたときのことです。その素晴らしさもさることながら、道をはさんで向かいにある講堂にも心惹かれました。解説を見ると、ライトの高弟である遠藤新という方が設計したとのこと。これで彼の名前が記憶にインプットされたのですが、その後、偶然というか奇跡というか、長野県上山田温泉を訪れたときにまた彼の作品に出会えました。当地にある笹屋ホテル別館『豊年虫』で、日本建築の伝統にホテルの手法を取り込み、近代観光旅館建築のモデルにもなった貴重な建物です。歩行と視覚に変化をつけるための段差、白木を組み合わせた茶室のような廊下屋根の化粧板、坪庭へと視線を誘導する仕掛け、イサム・ノグチのようなモダンな意匠の照明、円形の入口など意表をつく曲線の多用などなど、遠藤新の見事なデザイン感覚を満喫することができました。ライトの単純な亜流・エピゴーネンではなく、彼の「有機的建築」という哲学と、伝統的な意匠を、高いレベルで融合・昇華させたその手腕に心ときめき、これから折にふれて彼の設計した建築を追っかけていこうと思っています。
 県道47号線を東行し、五行川を渡ると、市民会館・図書館・体育館が集合している一帯がありました。「これだけ広いんだから案内図くらい設置しとけよ」とブツブツ呟きながらペダルをこいで探しまわっていると、「二宮尊徳先生 回村の像」という銅像をゲット。今、調べたところによると、彼は1842年、老中水野忠邦より普請役格として幕府役人に取り立てられ、農村再建のための尊徳の指導は小田原、烏山、下館、相馬各藩領、日光神領に及んだとのことです。このあたりにも縁があったのですね。そしてやっとのことで久保講堂にたどりつきました。
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by sabasaba13 | 2010-04-27 06:26 | 関東 | Comments(0)
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