そして白河駅に到着、一時間ほど徘徊ができそうですので、まずはハリストス正教会をめざしました。途中に白十字食堂といういわくありげな食堂があり、「一杯入魂 白河らーめん」という幟がはためいていました。
ご当地B級グルメには敬意を表したいので、昼食を食べる時間があったらぜひ試してみましょう。入口に掲げられたお品書きには「野菜定食」、うーん、こちらにもそそられますね。
その隣に怪しげな蔵があったので近づいてみると、「不死鳥社」という表札がありました。うーん、怪しい、けれども目一杯好奇心をひかれますね。何度も何度も倒産してそのたびごとに不撓不屈の闘志で蘇った会社なのでしょうか。いったい何を商っているのでしょうか。
そしてその前にあるのが白河ハリストス正教会聖堂です。案内板によると、1915(大正4)年に竣工された、現存するロシア正教の教会としては、全国で5番目に古い洋風建築で、設計は、豊橋聖堂や函館聖堂も担当した河村伊蔵です。白塗りの下見板におとぎ話に出てくるようなクーポル(丸天井)、丸窓や特徴のある庇など、瀟洒で愛らしい
教会でした。なおこちらには
山下りんの筆によるイコン(聖画像)が五点あるそうですが、事前に許可を得ないと内部の見学はできません。これまでにも東京のニコライ堂、
函館ハリストス正教会、秋田県大館の近くにある
北鹿ハリストス正教会聖堂、
京都ハリストス正教会を見てきましたが、その異国情緒にあふれる容姿は魅力的ですね。それでは小原庄助さんのお墓がある皇徳寺に行ってみましょう。「男の館 タナセ」ではこれでもかこれでもかと祭装束を元気いっぱい商っています。その前にある古いお宅の角には小さな展示室があったので、いそいそと近づいてみると元
写真館でした。
なおこのあたりでゲットした
フェイス・ハンティング物件を二つ。大口を開けて豪放磊落に呵呵大笑するお顔と、左の頬に腫れ物ができたのでしょうか、絆創膏を貼って口をゆがめているお顔。
そして皇徳寺に到着、裏手の墓地をずずずいと奥まで進むと、徳利に盃をかぶせた小原庄助さんのお墓がありました。いいなあ、こういう
お墓。なお彼の存在については諸説あり、こちたの解説によると谷文晁の高弟・羅漢山人に絵付けを学び、この白河で没した会津塗師・久五郎であるとされています。戒名は「米汁呑了信士」、辞世は「朝によし昼になほよし晩によし 飯前飯後その間もよし」。この辞世もいいなあ、日本三大辞世にノミネートしましょう。ちなみにあと二つは、新門辰五郎の「思ひ置くまぐろの刺身はつがつをふつくらぼぼにどぶろくの味」と、仙厓の「死にとうない、ほんまに死にとうない」です。
本日の二枚です。