上信編(6):海野宿(04.7)

 そして小諸に戻りしなの鉄道に乗り換えて田中へ。めざすは1879(明治12年)に建てられた、長野県内では中込学校と松本の開智学校に次いで古い和(かのう)学校です。インターネットで調べた地図を頼りに、地元の人に訊ねながら探したのですが、見つかりません。土地勘はいいほうだと自負していたのに、その自信もマジノ線のようにあっさりと崩壊してしまいました。撤退。駅に戻り、タクシーをつかまえて案内してもらいました。重厚な和風建築の細部に洋風の意匠をこらした学校です。残念ながら内部は見学できず。二宮金次郎像も発見。金次郎ウォッチャーとしては嬉しいかぎりですが、出来はいまひとつ。やはり柴を背負い、千字文を読んでいるのが正しい姿です。よくよく見ていると、高嶋政伸にそこはかとなく似ているような…
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 そして、海野宿へ。ここは中山道の宿場町で、昔の風情をよく残してあります。馬篭や奈良井ほど有名ではないので、観光客も少なくのんびりと徘徊ができました。柳の並木と、道路わきの水路と、古い街並みと、信濃の山々がよくマッチしています。山が見える町っていいですね。低い軒先でつばめの巣を至近距離で見ることができたのも初体験。つばめの子ってほんとに喉が赤いのですね。「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にいて足乳根の母は死にたまふなり」(斎藤茂吉)
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 なお宿の近くで、ほんとうにほんとうにシンプルな火の見と半鐘を発見。ふたたび田中駅にもどり、ふと見上げると… パンッ(手を打った音) 謎が解けた、なぜ長野は教育に熱心なのか。ここの少年少女諸君は線路上に石を三つも四つも並べて遊ぶほど、よたっかき(悪戯っ子)だったのだ。LES ENFANTS TERRIBLES ! おいおい、品行方正な少年時代を過ごした私だって、線路上に十円玉を置いてペシャンコにさせるのが関の山だったぜい(もう時効でしょう)。これでは教育に力を入れざるを得ないな、納得。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2005-04-10 08:44 | 中部 | Comments(0)
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