「静かなドン」

 「静かなドン(1)~(8)」(ショーロホフ 岩波文庫)読了。いつの間にやら、未読の著名な外国小説を読み漁るようになってしまいました。人生という旅路の終焉が近いぞ、という虫の知らせでしょうか。「ユリシーズ」「ドン・キホーテ」「裸者と死者」「ファウスト博士」と読み進めてきましたが、このたび挑んだのが「静かなドン」。実は数年前に本屋で大人買いをしたのはいいものの、本棚の奥で埃をかぶっていました。たまたま村上春樹氏の愛読書であることを知り、はたとその存在を思い出した次第です。さっそくクレバスの底から救出してページを紐解きはじめました。
 第一次世界大戦前夜から十月革命、国内戦と続く激動の時代を、南ロシアのドン地方のコサックたちがどう行き抜いたかを描く大河小説です。なおコサックとはどういう人たちか、訳者である横田瑞穂氏の解説からまとめてみます。遠く十四~五世紀の頃から、過酷な官憲や地主の圧迫にたえかねた農奴たちが自由を求めて、肥沃なドン河周辺に定住しました。遊牧民の襲撃に備えつつ自由な、しかし戦いの絶え間ない暮らしを営んだコサックたち、その原義は『自由な人間』『衛り手』を意味します。ナポレオン戦争の際にはその勇猛果敢さが全ヨーロッパを驚かせました。ツァーリ政府は、コサックたちを国境の防衛にあたらせるとともに、その風俗・特権をそのまま認め、いざという時には人民に対する爪牙として利用しようとしました。
 さて主人公はグリゴーリー・メレホフ、中農コサックの出身で、豊かな才能と強い意志を持つ男ですが、直情的なところもあります。彼、両親、兄夫婦、妹で平和な暮らしを営んでいたメレホフ家はやがて第一次大戦とロシア革命の渦に巻き込まれていきます。その過程について、木村雅昭氏は「帝国・国家・ナショナリズム」(ミネルヴァ書房)の中でこうまとめられています。
 ボルシェヴィキのクーデタ[一〇月革命]の後には、少数民族が一つまた一つとロシアから独立を宣言したが、それは民族的な願望を表現するためであると同時に、ボルシェビズムと不気味に頭をもたげてきた内戦から逃れるためでもあった。…分解の過程は周辺部に限られるものではなかった。遠心的な力は、各州が一つまた一つと中央からの独立を宣言し、独自の道を歩み始めるにつれて、大ロシア内部にも現れた。…その結果はカオスであった。(p.79)
 大戦に従軍し武勲をたてたグリゴーリーですが、大きな疑問を抱き赤軍へと身を投じます。しかし、コサックたちの独立を脅かす革命に不信感をもち白軍の兵士として反革命の戦いに加わります。この間、コサックたちも革命軍と反革命軍に分裂し、独立を守るという目的は同じながら仲間同士で無慈悲な殺戮をくりかえすことになります。彼の妻や子、両親、兄夫婦、友人たちが戦争と革命にどう巻き込まれたか、どう立ち向かったかを描きながら、ドン河の如く物語は流れていきます。そして…

 重苦しいストーリーが滔々と続きますが、ドン地方の美しい自然の描写、そして大地・自然・生き物への礼賛が心を慰め和らげてくれます。
 四月に入るとガラス張りのように、澄みきった、天気のよい日々がつづいた。はてしなく高い、群青の空の海を、雁の群や、銅をたたくように鳴く鶴の群が、雪を追い越しながら、先へ先へわたりつづけ、北の方へ去って行った。池のほとりでは曠野(ステップ)のうす緑の覆いのうえに、真珠をまきちらしたように、放し飼いの白鳥がきらきらと光っていた。春の水にひたされたドンの河っぷちでは、鳥の鳴き叫ぶ声が、一つのうめき声となって聞えていた。水に呑みこまれた草原のあちこちでは、まだ浸されぬ大地の背や岬になっているところで、飛び立つ身がまえをしながら、鵞鳥が鳴きかわし、柳の茂みでは、恋のエクスタシーに捕えられた雄鴨が、休む間もなくのどを鳴らしていた。柳の枝には若芽が緑の色をつけ、ポプラはいい匂いの、ねっとりとしたつぼみを、ふくらませていた。曠野は言いようもない魅惑にみたされていた。かすかに緑の色をおび、とけた黒土の古い香りと、いつも若々しい若草の香りを一ぱいにはらみながら。(6p.92)

 南からは、いたわるような、暖かい風が吹いていた。西には、春らしいまっ白な厚い雲が群がっていた。砂糖のような、青みをおびたその頂きは、うず巻きながら姿を変え、もり上り、畳々と重なりあって、ドンにのぞむ緑の山の端をおおうのであった。時おり春雷が、尾をひいてとどろいた。そしてほころびはじめた木々の蕾や香や、とけた大地の肥沃な黒土の臭いが、部落全体にいきいきと、おだやかに漂っていた。雪どけの水にあふれた青いドンの流れの上で、背の白い波が躍っていた。南東の風は生気をよみがえらせるような、しっとりとした湿気と、湿った木や朽ちた木の葉の渋い臭いを運んできた。春蒔きに割り当てられた耕地は、黒いビロードのつぎきれのように横たわって、かげろうを立たせていた、静かにたなびく霧が生まれ、ドン周辺の連山の上にただよっていた。道のすぐ上で、ひばりが夢中になってさえずり、道をよぎる野栗鼠が、甲高い声で鳴いていた。そして、はかり知れない肥沃さと、生命力の豊かさとに息づいているこの世界全体を―誇りに充ちた、高い太陽が見おろしていた。(6p.128)
 そして乱暴で直情的でがさつだけれど、友人や家族を大事にし歌と踊りが大好きで働き者のコサックたちの描写にも思わず頬が緩みます。彼らの悪口の言い合い、ののしりあいが好きだなあ。
 余計な口をたたくな、ろくでなし! 洟たらし! 人間の屑め! 手前にひとを指図する権利があるっていうだかい? さっさと出て行きゃあがれ…足もとの明るいうちに! 屁もこけねえような目にあわしてやろうか! ぐずぐず文句いうな、この世の暇乞いをさしてやるぞ… (4p.228)

 片っ方の足をふんづけて、もう一方の足をひっつかんで―蛙みたいにひき裂いちまうぞ! (7p.103)

 肥料のなかの甲虫(かぶとむし)みたいに、何をごそごそ探しまわっているのよ! (7p.253)
 永劫に続くかのように思われる殺し合いの果てに、コサックたちの胸に芽生える、戦いへの疑問、戦争への呪詛、人間とは何かという問いかけ、それらを吐露する彼らの言葉に心打たれます。
 人間とは一体なんであろう? 人間とはどういうものだろう? (5p.125)

 それぞれ自分の真理があるのだ。自分の道があるのだ。一きれのパンのために、一片の土地のために、生きる権利のために人間は戦ってきた。そして太陽が人間を照らし、血管のなかを温かく血潮が流れているあいだは戦いつづけるだろう。生活を、生活の権利を奪おうとする者と戦わなければならない。頑強に、ひるまず、―どこまでも身を守って―戦わなければならない。(5p.299)

 白のやつらがわめき立て、赤のやつらがわめき立て、それから今度はお前さんがわめき立てる、どいつもこいつも、自分の権力を見せびらかして、人の嫌がることをしようとばかりする。まったく百姓の生活は、きたならしい犬に舐められたように惨めなものじゃ! (6p.39)

 なんだってお前さんたちは、あいつらに関わり合うんだい? そして一体なんのために、互いに戦争し合っているんだい? まるっきり気狂いになっちまったんだよ、みんな。…お前さんみたいな、人でなしは、鉄砲を射ったり、馬の上でめかしこんだりするのが、楽しいんだろうが、おふくろの方はどうなるんだい? このおふくろたちのむすこが、殺されてるんじゃねえのかい? 戦争だのなんだのってろくでもねえことを考え出しやがって… (6p.61)

 戦争が、おれの中なら何もかもさらい出してしまったのさ。おれは自分でも恐ろしい人間になっちまったんだ…おれの心の中をのぞいてみるがいい、空っぽの井戸の中のように、まっ暗だから… (6p.132)

 中隊長がグリゴーリーのそばへかけ寄ってきて、小隊長と二人でかれの上にのしかかり軍刀の革紐や図嚢をうばいとり、口をしめつけ、足を抑えた。しかもかれはなおしばらくのあいだ、二人の下で弓なりに身をそらせ、ぴくぴく痙攣する足で、ざらめのような雪に穴をあけ、うめき声をあげながら、ひづめに掘り返された、黒土にかがやく、肥沃な大地に頭をうちつけていた。―かれが生をうけたその大地、また悲哀にみちた喜びに乏しい人生から、自分のために用意された一切をかれが残りなく受けとってきた、その大地に。(6p.100)

 一年間に、死の手がどれだけ多くの肉親の者や、知り合いの者に触れていったことか、その人たちのことを思っただけでかれの心は重苦しくなり、全世界が暗くなり、なにか黒い死の衣をかぶせられたような気がするのだった。(8p.30)

 ミシャートカが戦争のことを話しだすと、かれは心ひそかに、羞恥を感じるのだった。かれはその単純な悪気のない子供の質問にどうしても率直に答えてやることができなかった。それは、なぜか? これらの質問には、自分自身に対しても真剣に答えたことがなかったためではないだろうか? (8p.41)

 人間が幸福であるためには、人間にはほんの少しのものがあればいいものだ。(8p.280)

 1915年以来戦争というものを、いやというほど見てきたからには、神なんて存在しないことがはっきり分かったんだ。どんな神もないよ。もし神があるんなら、人間をあんなに混乱させ無秩序にさせておくわけがない。(8p.373)
 しかし羨ましいのは、コサックたちには、彼らを育み、命を与えてくれる大地と自然、そしてドン河があるということです。
 コサックたちがアタマン連隊の勤務を務めあげて、いよいよ家へかえされるということになる。トランクだの、自分の手廻り品だの、馬だのが列車に積みこまれる。列車は進んでヴォローネジの近くにやってくる。そこではじめてドン河を越すことになるわけなんだが、すると、機関士はぐっと速度をおとして列車を徐行させる。…実にそろそろと徐行させる…もうちゃーんと心得ているんだな。いよいよ列車が橋へさしかかると、―いや、もうそのさわぎったらない! コサックたちは、まるで気狂いのようになっていうんだ。《ドンだ! おれたちのドンだ! 静かなドンだ! 生みの父よ、養い親よ! ウ、ラア!》 そう言って窓へとびついて、鉄橋のうえから、鉄橋の手すりごしに、帽子だの、古外套だの、ズボンだの、ゲートルだの、シャツだの、その他いろんな物を河の中へ放りこむんだ。勤めを終って帰るお土産をドンへ贈るってわけなんだな。(4p.83)
 私の浅学と微力ではとても太刀打ちできない巨大な作品ですので、引用で埋め尽くしてしまいました。ご海容ください。ただ一人でも多くの方に読んでいただきたいという思いです。最後に、特に印象に残った言葉を二つ。"偉大な"人間は今にいたるも、より強力な兵器を執拗に意地悪くつくりつづけ、その鈍い音を世界中で轟かせて、現在のグリゴーリーやその家族・仲間たちを殺戮しています。それをやめさせるには…
 そして、自然界のなかで、人間の偉大さを証明するかのように、どこか、はるか遠く乾いた谷間のあたりで、執拗に、意地悪く、鈍く機関銃の音が聞こえていた。(7p.77)

 お兄さん、あんた知ってる? 心には命令できないってことを! (7p.103)

by sabasaba13 | 2010-06-01 06:22 | | Comments(0)
<< 会津・喜多方編(19):飯盛山... ノーマン・ロックウェル展 >>