上信編(7):五郎兵衛新田(04.7)

 翌日は浅科村へ。江戸時代初期の新田開発によって開かれた五郎兵衛新田の見物です。小諸市内で自転車を借りて南下すること約一時間、村役場に到着しました。観光案内図をもらい、まずは五郎兵衛新田資料館へ。差別戒名など被差別部落関係の資料が充実しており、勉強になりました。でも、筬(おさ:機織り機の部品)が被差別部落で製造されたということは、何故なのだろう。これは宿題。
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 新田開発の大略を把握した後、フラフラと近辺を散策。浅間山を背景に稲穂が波打ち、陽光に輝く様は絶景でした。鹿曲川上流で揚水し、川沿いの岩を切り開き、数ヶ所の掘貫(トンネル)をつくり、全長22kmの用水路を開削して新田を開いたわけです。大変な難事業だったと思いますね。これまた先人の労苦に脱帽。途中でちょっと変わった風情の石仏(大日如来)を見つけました。
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 自転車で走りながらふと気がつくと、異なものを見つけました。私は「交通安全顔」と勝手に命名しているのですが、眉毛・涙つきの珍しい物件です。この顔って誰が描いているのでしょうね。で、また異なものを発見し急ブレーキをかけ戻ってみると、珍しい「交通安全足型」をget。子供連れというのも珍品ですが、それに加えて犬つきです。おまけに足の指が三本という珍種。犬の足の指の数は前足に5本、後ろ足に4本なので、これは珍しい。ダイエットをしている犬という可能性も否定できませんけど。しかし、小生のような物好きな人間が、見かけるたびに注意を引かれるような物件は、かえって危険だと思いますね。でも面白い逸品との出会いを期待しています。えっさえっさと小諸まで戻り、帰郷。駅では、しな子さん・しなてつ君が「また来てね」と微笑みながら見送ってくれました。顔が戯画的な中国人風なので、しな=支那とひっかけたのか? 支那と呼ばれることも、つり上がった細目で表現されることも、中国の人は快く思わないのじゃないかな。出っ歯と眼鏡で日本人をイメージされたら、私は製作者の知性を疑いますね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2005-04-11 06:11 | 中部 | Comments(0)
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