五島・対馬・壱岐編(10):中ノ浦教会(09.9)

 そうこうしているうちにタクシーが到着、丁重にお礼を言って彼と別れ、車に乗り込みました。そして観光地図を見せながら、四時間の貸切、まわりたい教会の提示、有川で昼食、15:05発のフェリーに間に合うように奈良尾港に戻ること、あとはお任せ、ということで話がまとまりました。四十代なかばでしょうか、運転手さんは大変腰の低い方で、はいはいはいはいと請け負ってくれましたが、ご本人曰く「新人ですのでよろしくお願いします」。でも中通島出身ということなので、(たぶん)大丈夫でしょう。♪命預けます♪ それでは出発、しばらくは車窓からの眺めを満喫しました。いやあ、この中通島は素晴らしい景観です。複雑に入り組んだ海岸線、静かな入り江、千変万化の妙を奏でる山なみ、そして肩を寄せ合うように家々がうずくまる集落、それを見守るように佇む教会、天気のよい時に必ずや再訪するぞと心に誓いました。
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 そして二十分ほどで最初の目的地、中ノ浦教会に到着です。ここで薀蓄をひとくさり。なぜここ五島には個性あふれる教会が多いのでしょうか。禁教令の廃止(1873)によって信仰の自由が黙認されると、長い弾圧から解放された信者は、その喜びを表すために競って教会を造りました。フランス人神父の指導のもと、貧しい暮らしの中で自分たちの勤労奉仕で建てた質素な教会がこの時期の特徴です。やがて1890(明治22)年の明治憲法で信仰の自由が保障されると、信者の増加に対応して堂々たる外観の煉瓦造りの教会が建てられるようになります。明治末期になると、日本人が設計から施工までを行なうケースが増えてきます。その代表格が上五島出身の鉄川与助で、代々大工の棟梁を勤める家系に生まれ、1976(昭和51)年に97才の天寿を全うするまで、九州各地において多くの教会建築を残しました。在来の技術をベースに積極的に西洋建築技術を取り入れて独創的な作品を作り続けていった与助の人生は、近代建築の発展史そのものであり、彼のことを「棟梁建築家」と呼ぶ研究者もいるそうです。なお2007年にはユネスコの世界遺産暫定リストに「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として登録されたとのことです。
 というわけで信仰を公認されたという信者たちの喜びと島でいちばん美しい教会をつくりたいという熱い思い、鉄川与助の稀有なる才能、これが答えでしょうか。この中ノ浦教会は1925(大正14)年に建立されたもので、木造に重層屋根、尖塔をもち、静かで小さな入江のほとりにたたずむ白亜の美しい教会です。中に入ると、一面に白色とアイボリーが塗られ、上部に島の名物、椿の花のレリーフが並んでいる、何とも瀟洒で愛らしい雰囲気です。外に出ると、水面に映る優美な姿がまるで白鳥のようです。建築した棟梁は不明ですが、発注者とも思われる大崎八重神父は鉄川与助と深い関わりを持った方なので、彼が設計等に関与している可能性もあるのではないか、ということです。なおこの地区の信者の祖先は、寛政年間に、西彼杵半島外海地区の黒崎から移住してきたキリシタンだそうです。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-07-16 06:23 | 九州 | Comments(0)
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