五島・対馬・壱岐編(14):堂崎教会(09.9)

 福江港に到着したのが16:15、予定どおり堂崎教会に行くことにしましょう。レンタ・サイクル(貞方自転車 五島市開田町 72-2825)を利用することも考えましたが、時刻も遅いし、ちょっと遠いし、あいかわらず小雨が降っているので、タクシーを選択。ターミナル前で客待ちをしていたタクシーに乗り込みました。途中の奥浦港を走り抜けた時、ここから旧五輪教会のある久賀島に行く船が出るのだと教えてくれました。今回は時間の都合で訪問を断念したのですが、1881(明治14)年につくられた、外観は和風建築でありながら、内部はゴシック様式という明治初期の教会堂建築史を物語る貴重な教会です。再訪を期しましょう。なお歌手の五輪真弓のご両親がこの五輪地区出身で、彼女の芸名はここからつけたそうです。そして十分強で堂崎教会に到着です。1879(明治12)年、禁教令解除後の五島における最初の教会として設立され、キリシタン復活の拠点として、小ヴァチカン的な役割を果たしてきました。赤煉瓦造り、ゴシック様式の現在の天主堂は、1908(明治41)年に五島初の本格的洋風建造物として建てられたものだそうです。忘れてはいけないのが、マルマン神父の福祉事業。彼は布教と同時に貧しい子供たちの救済に乗り出し、これが後の奥浦慈恵院のおこりとなります。さあそれでは入館料を払って見学することにしましょう。設計はマルマン神父の後任でありペルー神父によるもので、鉄川与助も副棟梁格として参加したと言われているそうです。イタリアから運ばれたという赤煉瓦でつくられたゴシック様式の建築で、均衡のとれた正面部分はなかなかの見ものです。中央の鐘楼はすこしせり出しており、切妻屋根が架せられているのは珍しいですね。内部はリブ・ヴォールト天井で、花をデザインした愛らしいステンドグラスが印象的でした。なお現在では教会堂として使用されておらず、キリシタン関係の資料館となっています。
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 すぐ前にあるのは、マルマン神父と後任のペルー神父の像。そして近くには、1597(慶長元)年、豊臣秀吉のキリシタン禁令のため長崎で処刑された日本二十六聖人の一人で、この島出身であったヨハネ五島の磔刑像がありました。
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 なお教会のすぐそばまで入り江が迫っていますが、昔、信者たちは舟に乗ってここまでやってきたそうです。というわけで、本日の教会めぐりはここで終わりです。長い長い江戸時代を通して堅く信仰を守り抜いた信徒たちの意思、そして明治以降、信仰が公認されたことの喜びを教会という形で爆発させたその思い、すこしわかったような気がします。ただ一つ心に残ったのは、幕府や諸藩は隠れキリシタンが存在することにほんとうに気づかなかったのか、ということです。後日、読み直した「沈黙」(遠藤周作 新潮文庫)に、取り調べの役人が語る、次のような一文がありました。「パードレは知るまいが、五島や生月島にはいまだ切支丹の門徒衆と称する百姓どもがあまた残っておる。しかし奉行所ではもう捕える気がない… あれはもはや根が断たれておる。もし西方の国からこのパードレのようなお方が、まだまだ来られるなら、我々も信徒たちを捕えずばなるまいが… …しかしその懸念もない。根が断たれれば茎も葉も腐るが道理。それが証拠には、五島や生月の百姓たちがひそかに奉じておるデウスは切支丹のデウスと次第に似ても似つかぬものになっておる… やがてパードレたちが運んだ切支丹は、その元から離れて得体の知れぬものとなっていこう… 日本とはこういう国だ。どうにもならぬ。なあ、パードレ」(p.289~290) もしそうだとしたら、彼ら/彼女らが信じた教えとは何だったのか、そして近代以降やってきた神父たちはそれに対してどう対峙したのか、重い宿題として脳裡に刻んでおきましょう。
 待っていてもらったタクシーに乗り込み、しばし運転手さんと四方山話。カトリックの信者は中通島では約50%、この福江島では約20%に達するそうです。噂の五島牛の美味しい店を訊ねたところ、サシが少ないのでステーキより焼肉がいいよ、ということで「ぎあら(※牛の第4胃袋の意)」という店を薦めてくれました。よし、のった。福江の中心部にある当該の店の前でおろしてもらい、さっそく入店。お薦めの品を店の方に聞くと、「幻の五島牛肉」とのお返事。うーん、ちょっと値段がはりますが、いいやっ。旅に行き、美しいものや面白いものや怪しいものを見て、美味しいものを食べるために、粉骨砕身働いているのだから、二人前食べちまおう。そしてさまざまな部位の五島牛肉が大皿に乗せられて登場。炭火でちょいと炙って口に入れたとたん、その豊穣にして玄妙な味にうちのめされました。瞬時にして意識が飛び、エンドルフィンがぴしぴしと(以下略) いやあ、一日に二回もイーターズ・ハイになって罰が当たらないものだろうかと心配になりましたが、当たらないよね、たぶん。なお私はたまたま飛び込みでもOKでしたが、人気店なので予約をしておいた方がよさそうです。
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 そしてホテルに戻り、麦焼酎「壱岐」をちびりちびり飲みながら、明日の旅程を確認。朝一番のジェットフォイルで長崎に行き、長崎空港から空路対馬へ、午後は厳原散策という予定です。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-07-20 06:29 | 九州 | Comments(0)
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