五島・対馬・壱岐編(20):厳原(09.9)

 長寿院からすこし歩くと中村地区に到着です。1660年代に屋敷町として整えられた町割がもとになっており、いまも残る多くの石塀や屋敷門が往時の雰囲気を彷彿とさせます。聖ヨハネ教会では武家屋敷の中庭の面影を見ることができました。
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 こちらにあるのが半井桃水(なからいとうすい)館です。この地出身の小説家にして、樋口一葉の師そして思慕の相手として知られています。彼の生家跡にコミュニティ・センターが建てられ、活用されているようです。
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 フランス美容室とグリーン・モンスターを撮影し、八幡宮神社に寄ると巨大な「慰霊塔」が建っていました。そのフォルムから想像するにかつての忠霊塔で、戦後に文字プレートを置き換えたのでしょう。なお以前にも書きましたが、日中戦争(1937~)の激化にともない内務省は忠霊塔建設を認め、陸軍をバックに持つ大日本英霊顕彰会が忠霊塔のデザインを一般公募にかけました(1939.8.25)。その結果3タイプが選ばれ、以後これらを手本にして各地に忠霊塔がつくられていきます。ここの忠霊塔も意匠が似ているような気がします。
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 そして裏道をすこし歩くと対馬歴史民俗資料館のあたりに到着、ここから万松院をめざします。その途中にあったのが金石城跡、対馬藩主宗家の執政の拠点として、十七世紀後半に整備された城館の遺跡です。近年の発掘調査により多くの遺構が発見され、現在では往時を髣髴とさせる庭園として復元整備されていました。
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 そしてこちらにあったのが「李王家宗伯爵家御結婚奉祝記念碑」。1931(昭和6)年、新婚の宗武志と徳恵姫(朝鮮王朝第二十六代高宗の王女)が対馬を訪れ、島民の盛んな歓迎を受けました。この碑は結婚を祝って、対馬在住の朝鮮の人々によって建てられたものです。その後、二人は1955(昭和30)年に離別することになりました。なお復元された櫓門のすぐ近くに「B&G財団厳原海洋センター」という施設と、「水六訓」という訓示、および「世界一家 人類兄弟」… 笹川良一だあ! ちなみにB&G財団についてインターネットで調べてみたところ、海での体験やマリンスポーツを通じて、健やかな身体と心の育成につとめている組織だそうです。一抹の胡散臭さを胸に秘め、歩を進めましょう。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-08-03 07:50 | 九州 | Comments(0)
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