五島・対馬・壱岐編(21):厳原(09.9)

 そしてそのすこし先にあるのが万松院です。対馬藩主宗家累代の菩提所で、百雁木といわれる石段を上ると御霊屋があるそうです。残念ながら拝観時間が過ぎており、中には入れませんでした。当時の堂宇は火災にあって幾たびか改建されていますが、山門だけは焼失をまぬかれ威容を誇っています。ちなみにこの門が現存する対馬最古の建物とのこと。もひとつおまけ、あるパンフレットに日本三大墓所と紹介されていたのですが、残り二つが気になったので調べてみると金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地ということでした。ま、根拠などは明らかではないのでご参考までに。寺の近くでは彼岸花がここを先途と咲き誇っていました。
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 はい、それでは本日の徘徊は終了、夕食を食べることにしましょう。大町通りでは昔ながらのしぶい煙草屋を発見、看板娘はいませんでしたが。川端通りに行くと、中絶・性感染症を長崎弁で警告するポスターがありました。
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 そして目をつけておいた「味道楽 つしま」に行きましたが、開店まであと十数分待ってくれとのこと。しようがない、付近をそぞろ歩きしました。川の護岸には朝鮮通信使のタイル絵がはりつけられています。
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 スーパーマーケットで地元の食材を見たところ、「芋のくき」「いかの子」などがありました。
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 そして本屋に入って対馬に関する地元出版の本はないかなと物色していると、おおっ、運命的な出会い! 「宮本常一の足跡 壱岐・対馬を巡る」(小松津代志)という本が平積みされていました。
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 さっそく購入、さきほどの店にもどって海鮮丼をいただき、対馬産の焼酎「やまねこ」を買ってそそくさとホテルの部屋にもどり、くいくいとあおりながら一気呵成に読み終えてしまいました。
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 彼は対馬を五回、壱岐を四回訪れているのですね。その足跡をたどるとともに、現在の様子や見ものを地図とともに紹介されています。ああっ、「忘れられた日本人」の中で印象的な一編「梶田富五郎翁」の舞台は、対馬の浅藻(あざも)という集落だったんだ。あわてて地図をひもとくと、明日訪れる予定の豆酘(つつ)のすぐ近くです。これは行程にぜひとも組み込もう。「対馬にて」の中で、村の古文書を彼に見せることの可否を話し合う、印象的な寄りあいが開かれたのは伊奈という集落ですが、ここは対馬の北端に近い西海岸にあるので寄るのは難しそう。宮本常一と仲の良かった醴泉院の住職についても判明しました。安藤良俊という方で、宮本との親交が長く、また彼の影響により独学で対馬の歴史研究をなされ、彼や彼の弟子が対馬に来島したときには寺に泊め調査に同行するなど手厚く世話をされていたそうです。対馬では、こうした、お客に対して飲む、食う、寝るまでの接遇や調査の事前調整から同行、支援などの一切を献身的に世話する人を「まかない仕」というそうです。また壱岐には、勝本という面白く興味深い漁港があるということなので、旅程について考え直したそうがよさそう。宮本氏に献杯をしながら、心は浅藻に飛んでいるのでした。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-08-04 08:19 | 九州 | Comments(0)
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